カテゴリー: 場所

  • ホームセンターは、なんでもできそうな気がする。

    homeflow — place & tools

    ホームセンターが好き。

    DIYが好きというのもあるけれど、行くとなんでもできそうな気がしてくる。木材があって、カットもできて、金具があって、ペンキがあって、電動ドリルもあって、気づいたらマキタの掃除機まで見ている。

    テレビ台兼子どもの学用品収納を作った時、扉が斜めにならないように下にコロをかませたくて、そういう部品をかなり探した。

    あるかなあと思いながら棚を見ていたら、ちゃんとあった。

    「これ、いけるんやない?」

    となった時が、すごく楽しかった。

    実際、数年たっても扉は斜めになっていない。

    ホームセンターには、何が作れそうかな、と思わせる空気がある。

    木材も、金具も、ペンキも、工具も、まだ何にもなっていないのに、そこにあるだけで少しワクワクする。

    この空間にいると、本当に、なんでもできそうな気がしてくる。

    text — homeflow編集部

  • 本屋には、予定外がある。

    homeflow — place & books

    子どもが生まれる前は、時間ができるとよく本屋に行っていた。読みたい本を探しに行くのだけど、探していた本だけで終わらない。隣の棚、平積みの本、今まで興味のなかったジャンルが目に入って、気づくとずいぶん長くいる。

    図書館も好きだけど、本屋はもっと広くて、新しいものに出会える感じがある。スタバと併設されている大きい本屋なら、コーヒー一杯で一日いられる気がする。ケチでごめん、でも好き。

    本屋は、本を買う場所というより、予定外に出会える場所なのかもしれない。

    そう思うと、また少し行きたくなる。

    text — homeflow編集部

  • 美術館では、椅子を見てしまう。

    homeflow — place & things

    美術館に行くと、椅子を見てしまう。

    展示室の端に置いてある椅子。壁の近くに置かれている椅子。絵をまっすぐ見られる場所に、ちゃんと置いてある椅子。

    あ、ここに座りたい、と思う。

    もちろん作品を見に来ている。でも、椅子がいい場所にあると、その空間が好きになることもある。座ると絵が違って見える。絵を見ているというより、絵と同じ部屋にいる感じ。

    美術館の椅子は、たまにすごく素敵だ。

    これ、座っていいんですか、と思うような椅子が、普通に置いてあることがある。少し緊張するような椅子にも、美術館では座れる。

    有名な椅子に出会うこともある。

    ウェグナーのThe Chairみたいな静かな椅子も好きだし、天童木工の椅子を見かけることもある。イームズやヤコブセンの椅子も、わりとよく見る。

    ここにこの椅子ね、と思うのは楽しい。

    前に、どこかの美術館でガウディの椅子が置いてあった。

    バルセロナで座ったことのある椅子だった。初めてではないのに、見つけた時はやっぱり嬉しかった。

    あ、これ、また座れる、と思った。

    好きな椅子は、何回座っても嬉しい。

    椅子に座ると、自分も、その場所の一部になったように感じることがある。歩いている時は、作品の前を通り過ぎている人だったのに、座ると、床や壁や光や絵と一緒に、そこに置かれた感じがする。

    たぶん、椅子があるから。

    ただ、そんなことを思いながら座る時もあれば、単純に疲れている時もある。

    美術館は、思ったより歩く。階段もあるし、部屋もいくつもあるし、戻ったりもする。途中から足が重くなってくる。

    そんな時に椅子があると、もう動きたくない。

    ありがとう。

    座った場所から絵がきれいに見えたりすると、なおさら動けない。もうここでいい、と思う。ここから見えるものだけ見ていたい。

    美術館の椅子は、休んでも、休まなくてもいい気がする。

    きれいなものを見に行って、たくさん歩いて、少し疲れて、いい椅子に座る。そこで、さっきまで見ていたものや、まだ見ていない部屋のこともぼんやり思う。

    何かをちゃんと見ているようで、もうあまり見ていない時もある。

    それでも、その時間が好きだ。

    美術館に行っているのに、椅子も見る。そこに座ると、その場所の記憶が変わることも、きっとある。

    たくさん歩いたあとに、いい場所に椅子がある。

    それだけで、もうだいぶうれしい。

    text — homeflow編集部

  • 公園のものは、公園に返す。

    homeflow — park & small things

    前は、公園で拾った木の棒や石ころを、子どもが持って帰ることがあった。

    私も子どもの頃、そういうのを持って帰るのは好きだった気がする。石とか、葉っぱとか、よくわからない実とか。別にすごいものではないのに、その時はちょっと宝物みたいに見える。

    でも、家に持って帰られても、正直ちょっと困る。

    木の棒。石ころ。どんぐり。

    玄関の中に入れるのも少し困るし、部屋に持って入られるのも少し困る。だから前は、そういうものは玄関の外に置いていた。

    まだいる?

    しばらくして聞くと、もういらない、と言う。それでまた公園に行く時に持って行って、置いて帰っていた。

    たぶん、それを何度かやった。

    ある時、公園のものだから、公園に返してから帰ろうね、と言った。

    立派なことを教えようとしたわけではなくて。どちらかというと、家に持って帰られても困るな、と思ったから。

    でも、それからあまり持って帰らなくなった。

    拾って遊ぶけれど、帰る時には自分から置いて帰る。

    そうなのか、と思った。

    持って帰らんでいいの? と少し思う時もある。自分が子どもの頃は、拾ったものを持って帰るのも楽しかった気がする。

    でも、持って帰ってもらっても困るから、そこは言わない。

    木の棒も困る。石ころも、まあまあ困る。

    そんな感じで、今は公園に置いて帰っている。

    公園のものは、公園に返す。

    そう言ったら、ほんとうに返すようになった。

    少し拍子抜けするくらい。

    text — homeflow編集部

  • 隠れているつもりになれる場所。

    homeflow — place & view

    隠れているつもりになれる場所が好きだ。

    実際に隠れているかどうかは、よくわからない。向こうから見たら、普通に見えているのかもしれない。

    でも、自分の中では少し隠れている感じがする場所がある。

    たとえば、木立の中に少し入った場所。

    こちらからは、明るい水辺がきれいに見える。でも向こうからは、こちらが少し影になって、木に遮られて、たぶん見えづらい。

    そう思っているのは、中にいる私だけかもしれない。

    でも、その感じが落ち着く。

    通り沿いの2階のカフェも、少し似ている。

    テラス席からは、外を歩く人が見える。でも通りの人からは、かなり首をひねって上を見ないと、こちらは見えない。

    本当は見えているのかもしれないけれど、少し隠れているつもりになれる。

    そのくらいが、ちょうどいい。

    丸見えではない気がする。 でも、閉じ込められている感じでもない。

    こちらからは外が見えていて、自分は少しだけ奥にいる。

    そういう場所にいると、視界は外に出ていくのに、体は少し守られている感じがする。

    公園沿いの家で、外から見ると中は見えないのに、上の方は少しひらけていそうな家がある。

    入ったことはないから、本当にひらけているかは知らない。

    でも、なんかいいなあと思う。

    隠れているつもりになれる場所。

    本当に隠れていなくてもいいのだと思う。

    自分が少し奥にいる気がして、でも外はちゃんと見える。

    その都合のよさが、たぶん好きなのだと思う。

    text — homeflow編集部

  • ホテルの窓は、とりあえず見る。

    homeflow — hotel & window

    ホテルの部屋に入ったら、とりあえず荷物を置く。

    それから、カーテンを開ける。

    海が見えたらうれしい。山が見えたらうれしい。東京タワーが見えた時は、普通に、わー!となった。

    でも、いつもそんな部屋に泊まるわけではない。

    どこかに行くために泊まっただけのホテルでも、窓の外が少し抜けていると、なんか得した気分になる。

    隣のビルの壁だったら、まあ壁か、と思う。

    それでも、とりあえず見る。

    text — homeflow編集部

  • 水が見えると、だいぶ満足する。

    homeflow — water & air

    水が見えると、だいぶ満足する。

    海でもいい。川でもいい。湖でもいい。池でもいい。水面が少し見えるだけで、もうけっこう嬉しい。

    目的地が水辺だと、着いた時点で半分くらい満足していることがある。何か特別なことをしなくても、水がそこにあるだけで、空気が少し抜ける。

    広い海はもちろん好きだけど、小さい川でもいい。道路の横を流れている川とか、公園の池とか、遠くにちらっと見える水面とか。それだけで、視界が少しひらく感じがある。

    水は、じっとしているようで少し動いている。光がのったり、風でゆれたり、色が変わったりする。見ているだけで、こちらの呼吸も少しゆるむ。

    水辺なら大満足、というほどでもないけれど、かなり満足する。

    予定の中に水があると、それだけで少し嬉しい。何をするでもなく、ただ水が見える場所にいられるだけで、今日はけっこういいなと思う。

    text — homeflow編集部

  • ダリの家は、全然変じゃなかった。

    homeflow — place & feeling

    ダリのことを、そんなによく知っていたわけではなかった。

    日本で見ていたダリの印象は、少し暗くて、少し怖かった。溶けた時計とか、骨みたいなものとか、なんとなく不穏な感じ。友達が好きだったな、くらいの記憶はあったけれど、自分の中ではまだ遠い人だった。

    最初に行ったのは、ダリの劇場美術館だった。せっかくだから行ってみよう、くらいの気持ちだった。その先にダリの家もあることは知っていた。でも、さらに遠いし、バスの時間も限られている。間に合えば行こうかな、くらいだった。

    それでも、なんとなく気になっていた。美術館を見ながら、このあと行けるかな、という気持ちが少しあった。もう一周してもいいかなと思った頃に、今からバス停へ行けばちょうどいいかもしれないと思って、たいして調べもせずにバスに乗った。予約がいると書いてあったから、ポルリガットに着いてから電話した気がする。今思うと、なかなか適当だ。

    その日だけで、ダリの印象は何度も変わった。

    最初は、少し怖い人だった。劇場美術館に行ったら、怖いというより、おもしろい人になった。ガチャガチャしていて、シュールで、でも暗いだけではない。なんだ、すごく楽しい人なんだ、と思った。

    そのままの印象で、ポルリガットの家へ行った。

    家に入って、また印象が変わった。

    ダリの家は、全然変じゃなかった。少なくとも、私が想像していたような奇抜な家ではなかった。落ち着いた白い家に、芸術家の感性が散りばめられている。その散りばめ方が、ものすごくうまい。なんてセンスのいい家なんだろうと思った。

    その時、ミシュラン人形を見て、すごく好きだと思った。でも同時に、なんでここにこれを置いたんだろう、とも思った。白くて、海が見えて、気持ちのいい家に、急にあの人形がいる。好きだけど、理由はまだよくわからなかった。

    それからずいぶん経って、家族でもう一度行った。

    その時はレンタカーで、バルセロナから向かった。街の景色が少しずつ変わって、だんだん田舎になって、海が見えて、オリーブの木やブドウ畑が出てくる。地中海っぽい景色の中を走って、また山の方へ上がっていく。その道も、やっぱりよかった。

    ダリの家美術館に着くと、白い家と海がある。卵もある。外から見ただけでも、なんてところに来たんだ、と思う。

    中に入ると、明るくて、落ち着いていて、風が通る。窓から見える景色も、たぶんちゃんと考えられている。海の見え方、光の入り方、白い壁。まず、家そのものが気持ちいい。

    ベースは、全然ふざけていない。

    そこに、卵やミシュラン人形みたいなものがある。普通に考えたら、少し不思議なものだと思う。でも、それが浮いていない。白くて、海が見えて、風が通って、景色まで気持ちいい家に、茶目っ気がうまく足されている。

    もう一度来た時、少しわかった気がした。

    これは、ふざけたいから置いているだけじゃない。上質な空間を、上質なまま終わらせないためのズレなんだと思った。きれいな空間を、きれいなまま終わらせない。落ち着いたものの中に、自分の感覚をちゃんと混ぜている。

    その感じが、すごく好きだった。

    私はたぶん、ただ変なものが好きなのではない。上質なものの中に、その人の好きなズレが混ざっているものが好きなのだと思う。落ち着いているのに、澄ましすぎていないもの。きれいなのに、ちゃんと引っかかるところがあるもの。抜けがあるのに、意志もあるもの。

    家族も、その家を気に入っていた。娘は、その旅行の中で一番好きだった場所だと言った。それがすごく嬉しかった。自分だけが勝手に好きな場所ではなかったんだと思った。

    誰でも好きになるような気持ちよさがあって、その中に、ちゃんとズレがある。

    いつかこんな家に住もうね、と言った。半分本気で、半分夢みたいに。

    白くて、海が見えて、風が通って、気持ちがよくて、でもどこかにちゃんと茶目っ気がある家。落ち着いたものの中に、自分の好きなズレがしっかり混ざっている家。

    ダリの家は、全然変じゃなかった。

    でも、ちゃんとズレていた。

    text — homeflow編集部

  • ただいてもいい場所。

    homeflow — place & air

    お店では、何かを探している。

    棚を見る。奥を見る。手に取る。なければ出る。そういう楽しさもあるけれど、何も探したくない時もある。

    美術館で、作品を見る前に椅子を見てしまうことがある。あ、ここでぼーっとしたい、と思う。光が入っていて、床が静かで、壁と壁の間に少し余白がある。作品を見るために来たはずなのに、座っているだけでもいいような場所がある。

    床を見て、ここを素足で歩いたら気持ちいいだろうなと思うこともある。今はさすがにしない。でも、木の床や、ひんやりした石の床を見ると、足の裏が先に反応する感じがある。

    学生の頃は、その感覚に素直すぎて、本当に素足になってしまうことがあった。友達には普通に怒られていた。今思うと、そりゃそうだと思う。場所には場所の決まりがある。でもあの時の自分は、たぶん床を足の裏で感じたかったのだと思う。

    お寺で靴を脱ぐと、少し体の入り方が変わる。畳や板の間に足が触れて、廊下の奥に庭の影があって、空気が静かに流れている。何かをしなくても、そこにいるだけでいい感じがある。

    茶室は、もう少し凛としている。だらっとほどける場所ではない。小さな空間の中に、光や畳や道具の気配があって、こちらの呼吸も少し整う。緊張しすぎるのとは違うけれど、背筋が少し伸びる。

    森の中では、高い木が上にあって、木陰が足元に落ちている。風が抜けて、緑がたくさんあるのに、目が疲れない。色とりどりなのに、うるさくない。木に守られている感じがして、体が少しほどける。

    水が見えると、さらにうれしい。川でも、池でも、海でも。水辺があると、空気が抜ける感じがある。海は大好きで、広くて、音があって、風があって、見ているだけでだいぶ満足する。

    何かを買わなくてもいい。見つけなくてもいい。うまく過ごさなくてもいい。ぼーっとしていてもいい。

    そういう場所があるだけで、少し助かる。

    ただいてもいい場所は、体が少し先に知っているのかもしれない。

    text — homeflow編集部

  • 実家の和室は、風が通る。

    homeflow — summer & air

    最近の真夏は、さすがに少ししんどい。
    昔みたいに、夏は全部気持ちいい、という感じでもない。

    でも、それでも実家の和室は、ふとした時にすごく気持ちいい風が抜ける。

    和室と裏口を開けると、家の中を風がすーっと通る。
    クーラーの涼しさとは少し違う。
    空気そのものが動いて、家の中の熱が少し抜けていく感じ。

    畳の上に寝転ぶと、窓の外に山の緑が見える。
    それがまた、すごく気持ちいい。

    特に好きなのは、夏休みの昼下りだ。

    子どもたちと庭のプールで遊んで、
    そのあとシャワーを浴びて、
    冷たい麦茶を飲んで、
    和室にごろんと寝転ぶ。

    あの時間、本当に至福だなと思う。

    何か特別なことがあるわけじゃない。
    ただ、風が通って、体の熱が少し引いて、
    お風呂上がりの肌に畳の空気が触れて、
    冷たい麦茶がおいしくて、
    目に入るのは山の緑。

    それだけなんだけど、
    夏っていいな、と思える瞬間がちゃんとある。

    今の家は街の真ん中で、
    窓の外に山の緑が見えるわけではない。

    だからこそ、実家の和室のあの景色と風は、
    今思うとかなり贅沢だったんだなと思う。

    静かすぎるわけでもなく、
    自然だけの場所でもない。

    でも、家の中を風が抜けて、
    畳の上で少し呼吸が深くなる感じがある。

    あの和室が好きなのは、
    風なのか、景色なのか、
    夏休みの夕方の記憶なのか、
    まだ少し分からない。

    でも、あそこにごろんと寝転ぶと、
    なんか全部ちょうどよかった気がする。

    text — homeflow編集部