カテゴリー: 台所

  • 冷凍庫に、たまに夏が入っている。

    homeflow — kitchen & season

    いつもアイスを常備しているわけではない。
    でも夏に買い物へ行くと、ガリガリ君風の激安ソーダアイスをつい買う。
    安くて、子どもたちが喜ぶ。

    チューチューも買う。
    かさばらないし、冷凍庫のすき間に入れやすいから、夏になるとなんとなく買ってしまう。

    たまに、ヨーグルトに冷凍フルーツを混ぜて、少し体に良さそうなアイスを作ろうかな、と思う。
    子どもたちも好きそうだし、よさそうだ。

    でも、たぶん面倒で続かない。

    だから冷凍庫には、結局ソーダアイスとチューチューが入っている。

    冷凍フルーツも、よく買う。
    季節はあまり関係ない。
    ちょっと冷たいものが欲しい時や、果物をだめにしたくない時に、あると少し安心する。

    夏になると、そこにソーダアイスとチューチューが混ざる。
    冷凍庫の中が、少しだけ子どもの夏っぽくなる。

    高級なアイスでも、特別なおやつでもない。
    でも冷凍庫を開けた時に、そういうものが入っていると、少しだけ夏っぽい。

    冷凍庫には、冷凍フルーツがある。
    夏になると、ソーダアイスとか、チューチューとかも入ってくる。

    特別なおやつではないけれど、扉を開けた時にそれが見えると、少しだけ冷凍庫の景色が変わる。

    あ、夏だな、と思う。

    text — homeflow編集部

  • おにぎりは、だいたい大きくなる。

    homeflow — kitchen & living

    木のトレーや竹のザルに、小さなおにぎりをきれいに並べるのは好きだ。ごくたまにやると、やっぱりいいなと思う。

    白いごはんと海苔だけなのに、木や竹に置くと少し空気が出る気がする。

    でも実際の家のおにぎりは、だいたい大きい。一人一個。大きめに握って、ぼん、と置く。きれいに並べるというより、とりあえず足りるように作る。

    ラップのまま置く日もある。お皿に置く日もある。キッチンに並んでいるだけの日もある。好きな置き方はあるけれど、毎回そんなふうにはできない。

    それでも、おにぎりがあると少し安心する。きれいじゃなくても、ちゃんと家のごはんという感じがする。大きくて、少し現実的で、でもそれがなんか好きだ。

    text — homeflow編集部

  • 冷蔵庫も、生活の流量に負ける。

    homeflow — kitchen & flow

    昔は、もう少し管理できていた。場所を決めて、戻す場所を決めて、それなりに整っていた。冷蔵庫を開けると、少し呼吸できる感じがあった。

    でも、子どもが大きくなるにつれて、生活の量が増えた。牛乳がどんどん消える。飲みかけのものが増える。子どもの食べかけ、母が持ってきたおかず、下処理前の肉、発酵の途中。残り物は昼にスープへ流す。そういう生活の途中が、次々と冷蔵庫に流れ込んでくる。

    構造は決めている。トレーでざっくり仕切って、それぞれ戻す場所がある。でも、流れ込んでくる量が、構造の容量を少し超えてくる。整っていた場所に、途中のものが重なる。そういうことが、静かに積み重なっていく。

    「ごちゃごちゃが好き」なわけではない。本当は、呼吸できる冷蔵庫に戻したい。開けたときに、少し空気が抜ける感じ。昔はそれがあった。今は少し詰まっている。

    気力があるとき、一気に下処理をする。肉を切って、魚を捌いて、まとめて仕込む。そうすると一時的に整う。でも、生活はまた流れてくる。次の日には、また途中のものが増えている。ON/OFFを繰り返しながら、なんとか回している感じだ。

    最近は、完璧に管理しようとすることより、流れを止めない方向へ少しずつ重心が移っている気がする。整えたい気持ちは今もある。でも、生活の熱量がそれを上回る日もある。そういう時期なんだと思う。少し諦めもあるし、でも戻したい気持ちもある。両方、ある。

    綺麗に管理できない、ということではない。今の生活量に、構造が追いついていない、ということだと思う。冷蔵庫も、生活が流れている場所なんだと、少し思い直している。

    text — homeflow編集部

  • 居場所のないものが、少しずつ空気を濁らせる。

    homeflow — air & everyday

    別に散らかっているわけじゃない。 でも、なんか家がスッとしていない日がある。 息苦しいというか、空気が抜けない感じ。 何が原因かと思うと、はっきりしない。

    よく見ると、ストックが入り切らなくて、 醤油やみりんのラベルが棚から溢れてきている。 本当は籠の後ろに収めたい。 存在が嫌なわけじゃない。 必要な時にはちゃんと出せる場所へ、 今は空気を休ませたい、という感覚に近い。 でも、戻す場所がない。 だから視界に漂い続ける。 その「ここじゃない感じ」が積み重なると、 空気がじわじわ濁っていく。

    子どものキャラ物や色が多いこと自体は、そこまで気にならない。 扉の中や籠の後ろへ戻れるものは、なんとなく成立している。 問題は、戻る場所がなくて、視界に漂流し続けるものだ。 それが増えてくると、息苦しくなる。 「隠したい」は、存在を消したいわけではなくて、 空気を整えたい、ということだと思う。 収納って、物を入れる場所というより、 空気を戻す場所なのかもしれない。

    家そのものを完璧に好きなわけではない。 でも、嫌な場所を少しずつ減らしながら、ここまで整えてきた。 セルフリフォームも、その延長だと思う。 「好き」を増やすというより、「嫌い」を減らして、 空気の戻る場所を作ってきた感覚。 そうやって守ってきた空気が、 居場所のないものが増えると、少しずつ侵食される。

    季節の変わり目も同じで、 戻せない服がクローゼットに詰まって、 完了しきれない季節が部屋に漂っている。 視界が重くなる。空気が抜けない。 そういう日があるんだと、 少し輪郭が見えた気がした。

    text — homeflow編集部

  • 固定された完成形が、少し窮屈だった。

    homeflow — edit & living

    ミールキットが便利なのはわかるし、 高い理由もわかる。 でも、なんか自分の家の流れには少し合わない感じがずっとあって、 なんでだろうと考えていた。

    今日は野菜を増やしたい日がある。 薄味にしたい日もある。 冷蔵庫に半端なものが残っていて、それを入れたい日もある。 大人がめちゃくちゃ食べる日もあるし、 子どもの食欲がまったく読めない日もある。 家の流れって、毎日少しずつ違う。 完成されたセットだと、その小さい調整がしづらい。 それが、たぶん窮屈だったんだと思う。

    料理でいちばん大変なのって、 結局野菜を切ることな気がしている。 そこが省けると、あとは意外と回る。 フードプロセッサーやオーブンに任せれば、 全部を頑張らなくても、夜はなんとかなる。 切ってあるだけで、かなり違う。 出汁があると、なんとかなる。 そういう「ここだけ」が手元にあれば、 あとは自分で編集できる。

    「完成品が嫌」というわけではない。 固定されすぎると、少し窮屈、というだけで。 家によって、止まる場所も、ちょうどいい形も違うと思う。

    自分はたぶん、調整できる感じが好きなんだと思う。 生活を、自分の手の届くサイズで持っていたい。 その日の流れに合わせて、少しずつ動かしながら。 なんか、そういう感じ。

    text — homeflow編集部

  • 大きい平面が綺麗だと、空気が抜ける。

    大きい平面が綺麗だと、空気が抜ける。

    homeflow — space & air

    テーブルでも、カウンターでも、机でも。 大きい平面に何も乗っていないと、 家の空気が少し軽くなる感じがある。 別にミニマリストになりたいわけではない。 ただ、抜けていると、呼吸しやすい。

    子どもが小さい頃、テーブルはわりと綺麗だった。 でも今は違う。 勉強もそこでやるし、途中のものがどんどん集まる。 問題集、プリント、筆箱、色鉛筆、水筒、 カバンもそのまま、消しカスもある。 「片付けてー!」を毎日言っている。 毎日。

    イライラしないわけではない。 テーブルを空けたいし、大きい平面は守りたい。 でも最近、なんでこうなるかが少しわかる気がしてきた。 宿題が終わるまでは出しておきたいし、 帰ってきてすぐカバンを片付けるのも、まあ難しい。 テーブルって、途中のものが一番乗りやすい場所なんだと思う。 家の中心だから、全部そこへ集まる。 わかるけど、でもイライラはする。

    だから、テーブルとは別に、 家の中心導線上に途中のものを置く場所を一箇所だけ作っている。 持ち帰ったばかりの手紙、子どもの絵、あとで見る紙。 気づくとそこへ集まる。 その場所がたまたまアンティーク箪笥の上で、 なんかそれが、おかしいなと思いながら好きだったりする。

    かなり隠している方だと思う。 キッチンもできるだけスッキリさせているし、色も減らしている。 でも生活している以上、途中のものは絶対に発生する。 子どもが大きくなると、家に途中が増える。 今はそういうフェーズで、完全には受け入れていないけど、 少し諦めもある。 両方、ある。

    だから夜は、テーブルを綺麗にして寝るようにしている。 それだけは、なんか譲れない。 テーブルが綺麗な朝は、少しだけ空気が違う。 その感覚だけは、ずっと持っていたいと思っている。

    text — homeflow編集部

  • “ちゃんとしてる”は、苦しくなくていい。


    ちゃんとした暮らしをしたい、という気持ちは、今も普通にある。

    主菜も副菜も作りたい。 野菜もちゃんと出したい。 子どもの学習も見たい。 空気も荒らしたくない。

    「全部ゆるくてOK」という感覚じゃない。 ちゃんとしたい、は本音だ。

    でも最近、苦しい頑張り方じゃなくてもいい気がしてきた。


    根性で回したくない

    以前は、外でも家でも、全部を気力で回そうとしてた。

    でも、ある時期から考え方が変わった。

    できないことは、できないと言う。 帰る時間を、少し早いかもくらいで死守する。 外で完璧を演じるのをやめた。

    部署が変わったのも大きかった。 でも、それだけじゃなくて、 自分の時間を、自分で設計するようになった気がする。

    そうすると、家に帰った時に、 少しエネルギーが残ってる。

    余裕がある分、ピリピリしない。 ピリピリしない分、空気が荒れにくい。


    だから、工夫を使うようになった

    フープロで野菜を一気に切る。 オーブンに任せる。 切り野菜を冷蔵庫に置いておく。 アレクサに声かけを頼む。

    ラクしたいだけじゃない。

    ちゃんとした暮らしを、 気持ちよく続けたいから。

    苦しくない形で回せると、 夜の空気が変わる。 子どもの話を聞ける。 料理を、丁寧に仕上げられる。

    過程を自然体にすると、 大事なところに、ちゃんと手が届く。


    完成には、妥協したくない

    過程はもっと呼吸できる形でいい。 でも、完成したものには妥協したくない。

    料理の味。 野菜の感じ。 器。 空気。 家族との時間。

    そこは、ちゃんと大事にしたい。

    効率だけを求めてるわけじゃない。 苦しくない形で、好きなものを大切にしたい。 それだけのことだと思ってる。


    私はこういう暮らし方が、心地いい

    これが正解とは思わない。

    人によって、心地いい形は全然違う。 全部手作りにしたい人もいるし、 全部外注したい人もいる。 どちらも、その人の心地いい形だと思う。

    私はこういう暮らし方が、心地いい。 ただそれだけ。

    でも、「その感じ、ちょっとわかる」と思ってもらえたら嬉しい。

    あ、ラクもしたいけどね(笑)

  • 子どもがちゃんと伸びてるって見えた日は、なんだか嬉しい。


    特別な日じゃなかった。

    誕生日でも、運動会でも、発表会でもない。 ただの、平日の夜。

    でも、なんだかすごく嬉しかった。


    こんな夜があった

    ゲームをしてた。 楽しそうに、夢中でやってた。

    時間になったら、自分で終わらせた。 歯磨きに、自分で行った。

    それだけ。 それだけなのに、なんだかウキウキした。

    ちゃんと育ってるんだな、と思ったら、 心がすごく軽くなった。


    全部できた日じゃなかった

    宿題、全部終わってたわけじゃない。 夜更かししてた日もある。 完璧な夜じゃなかった。

    でも、 自分で時間を見てた。 自分で動こうとしてた。 前より、少し伸びてた。

    そういう夜の方が、あとから心に残る気がしてる。


    「全部できたか」より、「伸びてるか」

    私は、主菜も副菜も作りたいし、 野菜もちゃんと出したい。 学習も見たいし、子どもに力をつけてほしい。

    全部ゆるくてOK、という感覚じゃない。

    でも、全部を親が握って、 ピリピリ管理したいわけでもない。

    最近は、 「全部できたか」より、 「自分で動こうとしてたか」 「前より少し伸びてたか」 「家の空気が壊れなかったか」

    そういう夜の方が、なんだかいい夜だった気がする。


    育っていく流れが、見えた夜

    毎日、なんとか回してる。 夕飯を作って、宿題を見て、お風呂に入れて、寝かせる。

    その繰り返しの中に、 ふと、「あ、育ってるな」と思う瞬間がある。

    自分でゲームを終わらせた。 歯磨きに行けた。 少し嫌でも、家庭学習を頑張った。

    誕生日みたいな特別な日じゃないのに、 なんだかすごく嬉しい。

    この毎日が、ちゃんと積み重なってたんだな、と思うと、 心がウキウキする。


    全部握らなくていい

    管理したいわけじゃない。 でも、放置したいわけでもない。

    その間で、毎日手探りしてる。

    でも、伸びてる流れが見えた夜は、 なんだかこの毎日が報われる気がする。

    完璧じゃなくていい。 全部できなくていい。

    ちゃんと育ってるんだな、と思える夜が、 たまにあるだけで、十分だと思ってる。

  • ママが詰まると、家も止まる。


    家が荒れていたというより、 自分が詰まっていたんだと思う。

    最近、そう感じるようになった。


    外で頑張りすぎると、家で止まる

    昔の私は、外で頑張りすぎていた。

    仕事で気を遣う。 ちゃんとしようとする。 全部回そうとする。 完璧にやろうとする。

    家に帰る頃には、もうエネルギーが切れてた。

    その状態で、 宿題、お風呂、歯磨き、夜ご飯、兄弟げんかが始まる。

    怒りたいわけじゃないのに、声が大きくなる。 子どもに当たってしまう。 夜の空気が、じわじわ重くなっていく。

    あの頃は、子どもが原因だと思ってた。 でも今思うと、自分が詰まってただけだった。


    ある時期から、急に楽になった

    ある時期から、急に楽になった気がした。

    完璧じゃなくてもいいよね、って思えるようになったというか。 力の抜き方が、少しわかってきた気がする。

    適当になったわけじゃない、たぶん。 「これくらいでいい」の基準が、 自分の中に育ってきた感じに近い。

    外で頑張りすぎない。 ちゃんとやらない。 抱え込みすぎない。

    そうすると、不思議と家の空気が荒れにくい日が増えた。


    でも、綺麗に割り切れてはいない

    それでいいの? 社会ってそんな甘くないよね?

    その気持ちも、まだ普通にある。

    完璧にやらなくていい、と頭ではわかってても、 なんかもっとできたんじゃないかと思う夜もある。

    でも、家でずっとピリピリしてるより、 少し余白がある方が、 自分にも子どもにもいい気がしてる。

    まだ揺れてる。 でも、揺れながら、少しずつわかってきてる気もする。


    工夫は全部、自分を止めすぎないためだった

    出汁を仕込んでおく。 オーブンに任せる。 切り野菜を冷蔵庫に置いておく。 アレクサに声かけを預ける。

    これ、家を回すためだけじゃなかった気がしてる。

    自分のエネルギーを、残すためでもあった。

    キッチンで消耗しない分、子どもの話を聞ける。 声かけを任せた分、怒らなくて済む。 ほったらかしてる間に、少しだけ座れる。

    全部つながってた。


    ママが詰まると、家も止まる

    子どもの流れだけ整えても、 親が詰まってたら、夜は荒れる。

    だから、自分を詰まらせないことも、 家の流れをつくることの一つなんだと思ってる。

    完璧じゃなくていい。 力を抜いていい。 余白があっていい。

    そうやって、自分が少し整うと、 不思議と家の空気も、少し整う夜がある。

  • アレクサが鳴ると、家の時間が少し動き出す。


    親が毎回言うと、家の空気が重くなる。

    歯磨きしなさい。 宿題やった? お風呂入って。 もう寝る時間だよ。

    同じことを、毎晩何回も言う。 言うたびに、少しずつ空気が重くなっていく。 怒りたいわけじゃないのに、だんだん声が大きくなる。

    それが、じわじわしんどかった。


    声かけを、少し外に任せてみた

    アレクサに言ってもらうようにした。

    歯磨きの時間。 宿題やった? お風呂の時間だよ。 もう寝る時間。

    親が言うのと、機械が言うのと、 内容は同じなのに、空気が違う。

    親が言うと、どこかプレッシャーになる。 機械が淡々と言うと、不思議と荒れにくい。

    怒らなくていい。 何度も促さなくていい。 それだけで、夜の空気が少し変わった。


    時報みたいな存在になってきた

    命令してくる感じじゃない。

    うちではアレクサが「ご飯食べた?」と聞いてくれる。 それが鳴ると、子どもには「時間がやばい」らしい(笑) 命令じゃない。ただ、確認してくれるだけ。 でも、それだけで時間が動き出す夜がある。

    朝も同じで、 「あれが鳴ると、さすがにやばい」らしい。

    いつの間にか、家の時間の区切りみたいになってきた。 アレクサが鳴ったら、そろそろ動く。 そういう流れが、自然にできてきた。


    動かない日も、無視される日もある

    全部うまくいくわけじゃない。

    動かない日もある。 思春期になったら、無視される日も増えるかもしれない。

    でも、親が何度も言うより、空気が荒れにくい。 それだけで、だいぶ違う。

    動かない時は、怒らずに「いつやる?」だけ聞く。 自分で決めてもらう。 全部を管理したいわけじゃない。 「自分で決める」は、残しておきたい。

    あとでやる、は基本的に来ないと思ってるけど(笑) それでも、自分で言った時間には少し責任が生まれる気がしてる。


    管理でも、放置でもない

    全部管理したいわけじゃない。 でも、完全に放置もできない。

    その間で、アレクサがちょうどいい距離感でいてくれる。

    親じゃない。 でも、淡々と時間を教えてくれる。 怒らない。責めない。ただ、鳴る。

    その感じが、うちの夜にはちょうどよかった。

    家の時間が、少し流れやすくなった気がしてる。