カテゴリー: 夜の流れ

  • “ちゃんとしてる”は、苦しくなくていい。


    ちゃんとした暮らしをしたい、という気持ちは、今も普通にある。

    主菜も副菜も作りたい。 野菜もちゃんと出したい。 子どもの学習も見たい。 空気も荒らしたくない。

    「全部ゆるくてOK」という感覚じゃない。 ちゃんとしたい、は本音だ。

    でも最近、苦しい頑張り方じゃなくてもいい気がしてきた。


    根性で回したくない

    以前は、外でも家でも、全部を気力で回そうとしてた。

    でも、ある時期から考え方が変わった。

    できないことは、できないと言う。 帰る時間を、少し早いかもくらいで死守する。 外で完璧を演じるのをやめた。

    部署が変わったのも大きかった。 でも、それだけじゃなくて、 自分の時間を、自分で設計するようになった気がする。

    そうすると、家に帰った時に、 少しエネルギーが残ってる。

    余裕がある分、ピリピリしない。 ピリピリしない分、空気が荒れにくい。


    だから、工夫を使うようになった

    フープロで野菜を一気に切る。 オーブンに任せる。 切り野菜を冷蔵庫に置いておく。 アレクサに声かけを頼む。

    ラクしたいだけじゃない。

    ちゃんとした暮らしを、 気持ちよく続けたいから。

    苦しくない形で回せると、 夜の空気が変わる。 子どもの話を聞ける。 料理を、丁寧に仕上げられる。

    過程を自然体にすると、 大事なところに、ちゃんと手が届く。


    完成には、妥協したくない

    過程はもっと呼吸できる形でいい。 でも、完成したものには妥協したくない。

    料理の味。 野菜の感じ。 器。 空気。 家族との時間。

    そこは、ちゃんと大事にしたい。

    効率だけを求めてるわけじゃない。 苦しくない形で、好きなものを大切にしたい。 それだけのことだと思ってる。


    私はこういう暮らし方が、心地いい

    これが正解とは思わない。

    人によって、心地いい形は全然違う。 全部手作りにしたい人もいるし、 全部外注したい人もいる。 どちらも、その人の心地いい形だと思う。

    私はこういう暮らし方が、心地いい。 ただそれだけ。

    でも、「その感じ、ちょっとわかる」と思ってもらえたら嬉しい。

    あ、ラクもしたいけどね(笑)

  • 子どもがちゃんと伸びてるって見えた日は、なんだか嬉しい。


    特別な日じゃなかった。

    誕生日でも、運動会でも、発表会でもない。 ただの、平日の夜。

    でも、なんだかすごく嬉しかった。


    こんな夜があった

    ゲームをしてた。 楽しそうに、夢中でやってた。

    時間になったら、自分で終わらせた。 歯磨きに、自分で行った。

    それだけ。 それだけなのに、なんだかウキウキした。

    ちゃんと育ってるんだな、と思ったら、 心がすごく軽くなった。


    全部できた日じゃなかった

    宿題、全部終わってたわけじゃない。 夜更かししてた日もある。 完璧な夜じゃなかった。

    でも、 自分で時間を見てた。 自分で動こうとしてた。 前より、少し伸びてた。

    そういう夜の方が、あとから心に残る気がしてる。


    「全部できたか」より、「伸びてるか」

    私は、主菜も副菜も作りたいし、 野菜もちゃんと出したい。 学習も見たいし、子どもに力をつけてほしい。

    全部ゆるくてOK、という感覚じゃない。

    でも、全部を親が握って、 ピリピリ管理したいわけでもない。

    最近は、 「全部できたか」より、 「自分で動こうとしてたか」 「前より少し伸びてたか」 「家の空気が壊れなかったか」

    そういう夜の方が、なんだかいい夜だった気がする。


    育っていく流れが、見えた夜

    毎日、なんとか回してる。 夕飯を作って、宿題を見て、お風呂に入れて、寝かせる。

    その繰り返しの中に、 ふと、「あ、育ってるな」と思う瞬間がある。

    自分でゲームを終わらせた。 歯磨きに行けた。 少し嫌でも、家庭学習を頑張った。

    誕生日みたいな特別な日じゃないのに、 なんだかすごく嬉しい。

    この毎日が、ちゃんと積み重なってたんだな、と思うと、 心がウキウキする。


    全部握らなくていい

    管理したいわけじゃない。 でも、放置したいわけでもない。

    その間で、毎日手探りしてる。

    でも、伸びてる流れが見えた夜は、 なんだかこの毎日が報われる気がする。

    完璧じゃなくていい。 全部できなくていい。

    ちゃんと育ってるんだな、と思える夜が、 たまにあるだけで、十分だと思ってる。

  • ママが詰まると、家も止まる。


    家が荒れていたというより、 自分が詰まっていたんだと思う。

    最近、そう感じるようになった。


    外で頑張りすぎると、家で止まる

    昔の私は、外で頑張りすぎていた。

    仕事で気を遣う。 ちゃんとしようとする。 全部回そうとする。 完璧にやろうとする。

    家に帰る頃には、もうエネルギーが切れてた。

    その状態で、 宿題、お風呂、歯磨き、夜ご飯、兄弟げんかが始まる。

    怒りたいわけじゃないのに、声が大きくなる。 子どもに当たってしまう。 夜の空気が、じわじわ重くなっていく。

    あの頃は、子どもが原因だと思ってた。 でも今思うと、自分が詰まってただけだった。


    ある時期から、急に楽になった

    ある時期から、急に楽になった気がした。

    完璧じゃなくてもいいよね、って思えるようになったというか。 力の抜き方が、少しわかってきた気がする。

    適当になったわけじゃない、たぶん。 「これくらいでいい」の基準が、 自分の中に育ってきた感じに近い。

    外で頑張りすぎない。 ちゃんとやらない。 抱え込みすぎない。

    そうすると、不思議と家の空気が荒れにくい日が増えた。


    でも、綺麗に割り切れてはいない

    それでいいの? 社会ってそんな甘くないよね?

    その気持ちも、まだ普通にある。

    完璧にやらなくていい、と頭ではわかってても、 なんかもっとできたんじゃないかと思う夜もある。

    でも、家でずっとピリピリしてるより、 少し余白がある方が、 自分にも子どもにもいい気がしてる。

    まだ揺れてる。 でも、揺れながら、少しずつわかってきてる気もする。


    工夫は全部、自分を止めすぎないためだった

    出汁を仕込んでおく。 オーブンに任せる。 切り野菜を冷蔵庫に置いておく。 アレクサに声かけを預ける。

    これ、家を回すためだけじゃなかった気がしてる。

    自分のエネルギーを、残すためでもあった。

    キッチンで消耗しない分、子どもの話を聞ける。 声かけを任せた分、怒らなくて済む。 ほったらかしてる間に、少しだけ座れる。

    全部つながってた。


    ママが詰まると、家も止まる

    子どもの流れだけ整えても、 親が詰まってたら、夜は荒れる。

    だから、自分を詰まらせないことも、 家の流れをつくることの一つなんだと思ってる。

    完璧じゃなくていい。 力を抜いていい。 余白があっていい。

    そうやって、自分が少し整うと、 不思議と家の空気も、少し整う夜がある。

  • 幸せすぎて、動けなくなる場所がある。


    ソファに座ると、止まる。

    あったかい。 力が抜ける。 テレビがある。毛布がある。家族がいる。

    「今日ここで終わりでいいか」 みたいな気持ちになる。

    子どもも同じで、 一回ソファに入ると、次の動きが重くなる。


    止まるのは、怠けじゃなかった

    歯磨きに行けない。 宿題に移れない。 お風呂に入れない。

    最初は、やる気の問題だと思ってた。

    でも観察してると、そうじゃない気がしてきた。 安心できる場所に入ると、人は止まる。 怠けてるというより、安心して止まってる感じに近い。

    帰宅後、ご飯後、お風呂後。 ソファに入るたびに、切り替えが重くなる。

    それは、そうだよなと思う。 幸せな場所から出るのは、誰だって重い。


    「切り替え」が、一番難しい

    やる気がないんじゃない。 次に何をすればいいか、わかってる。

    でも、動き出せない。

    温かい場所から、冷たい洗面所へ。 テレビの続きを途中でやめて、宿題へ。 家族がいるソファから、一人で歯磨きへ。

    その「切り替え」が、一番難しい。 大人だって、同じだと思う。


    観察してて、気づいたこと

    止まる場所がわかると、少し気が楽になった。

    怒る前に、 「ああ、またここで止まってるな」と思えるようになった。

    ソファを禁止しようとは思わない。 だって、幸せな場所だから。

    切り替えのきっかけだけ、少し考えるようになった。 テレビが終わったら動く。 お風呂あがりにそのまま歯磨きをセットにする。 アレクサに声をかけてもらう。

    止まる場所を責めるんじゃなくて、 そこから動き出しやすい流れを、少し作っておくだけ。


    帰ったら、ほっとできる場所であってほしかった

    特別なことをしたわけじゃない。 でも、家がそういう場所であってほしかった。 家族みんなにとって。

    ソファで動けなくなるくらい安心してるなら、 それはたぶん、悪くない。

    でも正直、ゲームばっかりしてると、 なんかやれーって思う(笑)

  • オーブンに入れてる間、夜が回る。


    オーブンに入れて、スイッチを押したら、離れられる。

    その間に、夜が少し回っていく。 最近、そう感じてる。


    キッチンに張り付かなくていい時間が、夜を変える

    料理中、ずっとキッチンにいなきゃいけない夜がある。 火加減を見て、混ぜて、焦げないか確認して。 気づいたら、子どもとほとんど話せなかった。

    オーブンに入れてしまうと、離れられる。

    子どもと一緒にお風呂に入れる。 そこで、今日あったことをゆっくり聞ける夜がある。 宿題を横で見られる日もある。 送り迎えに行ってる間、オーブンがご飯を作ってくれてる。 戻ってきたら、できてた。 そういう夜がある。

    キッチンから離れられる時間が、 夜の空気を守ってくれてる気がする。


    うちのオーブンの話

    凝った料理をしたいわけじゃない。

    野菜と肉を並べて、塩とオイルをかけるだけ。 それで一品できる。

    厚手の鍋をそのままオーブンに入れると、煮込み料理になる。 混ぜなくていい。火加減を見なくていい。 ほったらかしてるだけで、ちゃんとおいしくなってたりする。

    茶碗蒸しをオーブンで同時に作る日もある。 炊飯器で炊き込みご飯を仕掛けておく日もある。

    全部同時に動いてる間に、 お風呂に入って、子どもの話を聞いて、 戻ってきたら、ご飯ができてた。

    頑張った感じはしない。 でも、なんかちゃんとした夜になってたりする。


    「ほったらかしてる間に、夜が回ってた」

    オーブンに入れてる間、火を見なくていい。 混ぜなくていい。 キッチンにいなくていい。

    その時間が、そのまま子どもとの時間になる。 送り迎えの時間になる。 少しだけ座れる時間になる。

    料理してるのに、料理してない感じ。 でも、夜はちゃんと回ってた。

    最近、それが一番流れやすい夜だと思ってる。


    キッチンから離れられる時間が、夜の空気を守る

    凝った料理を作った夜より、 キッチンにいなかった夜の方が、 なんとなく夜が整った気がすることがある。

    子どもの話を聞けたから。 お風呂でゆっくりできたから。 送り迎えから戻ったら、ご飯ができてたから。

    オーブンに任せてる間に、 大事な時間が、そこにあった。

    頑張る料理じゃなくていい。 キッチンから離れられる時間が、夜を守ってくれる。 最近、本当にそう思ってる。

  • 出汁があると、なんとかなる。


    出汁があると、なんとかなる気がする。

    豪華じゃなくていい。 特別な食材じゃなくていい。 でも、あるとないとで、夜の止まり方が違う。

    最近、そう感じてる。


    出汁があると、夜が動き出す

    冷蔵庫を開けて、止まる夜がある。 何作ろう。何があったっけ。今日疲れてるし。

    でも、出汁があると、とりあえず火にかけられる。 具材を入れれば、鍋になる。 野菜を足せば、スープになる。 味がなんとか決まる。

    「何作ろう」で止まらない。 それだけで、夜が少し動き出す。


    うちの出汁の話

    完璧な無添加生活をしたいわけじゃない。 でも、自分なりの納得できるラインがある。

    味噌は母の手作りのものを使ってる。 安心感もあるし、何よりおいしい。 母の麹で、玉ねぎ麹を自分で作ってる。 煮干し粉を足すこともある。

    でも醤油は普通に買う。 出汁の素を使う日もある。 全部完璧にはやらない。できることしかしない。

    前日の夕飯が魚だったら、 余裕があれば骨から出汁を取っておく。 イワシはよく出る。手羽元も、出汁がおいしい。 余裕がなければ、捨てる。それでいい。

    野菜ブロスはやめた。 手間の割に、自分には味がわからなかった。

    今は、料理の最初に野菜を水に入れて火にかける。 あとはほったらかし。 その間にオーブンもかけて、お風呂も入って、 最後に戻ってきて味付けるだけ。 気づいたら、出汁も出てて、もう一品もできてた。 そういう夜が、一番流れやすい。


    玉ねぎ麹を作っている理由

    丁寧だからじゃない。

    普通においしいから。 罪悪感が少し減るから。 添加物に悩まされなくてもいい感じが、自分には心地いい。 家族がちゃんと「おいしい」と食べてくれる。

    うちにちょうどいい感じ、それだけ。

    手作りだから偉いとか、そういう話じゃない。 今の生活で無理なく回ること、夜が止まりにくいこと、 家族がちゃんと食べてくれること。 そっちの方が、ずっと大事だと思ってる。


    その家の、心地いいラインでいい

    気にならない人は、出汁の素で全然いい。 もっと気になる人は、全部無添加でももちろんいい。

    正解はない。 その家ごとの、心地いいラインがある。

    うちはたまたま、今のやり方がちょうどいい。 それだけの話で、これが正解というわけじゃない。


    出汁があると、なんとかなる

    出汁があると、とりあえず火にかけられる。 火にかけてほったらかしてる間に、夜が回っていく。 最後に味付けるだけで、なんとかなった夜がある。

    頑張った感じはしない。 でも、夜が整った気がする。

    出汁があると、なんとかなる。 最近、本当にそう思ってる。

  • 切ってあるだけで、夜は少し流れやすくなる。


    冷蔵庫に切り野菜がある日と、ない日。 夜の流れが、少し違う気がする。

    料理が上手くなったわけじゃない。 献立をちゃんと考えてるわけでもない。 ただ、切ってある。それだけなのに。


    キッチンで止まらなくなった

    以前は、冷蔵庫を開けてから止まっていた。

    何があるかな。 これとこれ、合わせられるかな。 今日疲れてるし、何にしよう。

    その「止まる時間」が、じわじわと夜を削っていた。

    切り野菜が冷蔵庫にあるだけで、 その止まりが、なくなった。 何作ろう、で消耗しなくなった。


    うちの切り野菜の話

    丁寧に仕込んでるわけじゃない。 フードプロセッサーで一気にやる。 とりあえず切ってある、それだけ。

    うちは玉ねぎは薄切り、にんじんは千切り、キャベツはザク切りにしておくことが多い。

    千切りならスープにもできるし、あんかけにも逃がせる。 ザク切りは鍋にもオーブンにも入れやすい。

    レタスはちぎって洗って、そのまま冷蔵庫に入れておく。 使いたい時にすぐ出せる状態にしておくだけ。

    玉ねぎは、皮を剥いて半分に切った状態で置いておくことも多い。 そこから切るのは、大変じゃないから。 ギューギュー焼きにもなるし、カレーにも、肉じゃがにもなる。 何にでもなれる状態にしておくと、夜に止まりにくい。

    保存は真空保存容器で。 それだけで、少し長持ちする。

    うちはベーコンは手作りだし、 味噌や麹は母の手作りのものを使ってる。 出汁の素も普通に使う。 全部じゃないけど、できるところだけ。

    醤油は普通に買うし、 忙しい日は全部出汁の素でいい。 全部完璧にはやらない。できることしかしない。

    切り野菜も、そのくらいの感覚でいい。 頑張って仕込むものじゃなくて、 とりあえずある状態にしておくもの。


    切ってあると、何にでもなれる

    切ってあると、何にでもなれる。

    鍋にもできるし、スープにもなる。 オーブンに入れてしまう日もある。 あんかけにする気力がある日は、少し贅沢な一皿になる。

    「何作ろう」で止まらないだけで、 夜は少し流れやすくなる。


    夜が整う感じは、料理からじゃなかった

    凝った料理を作った夜より、 キッチンで止まらなかった夜の方が、 なんとなく夜が整った気がする。

    切り野菜があったから、すぐ動けた。 すぐ動けたから、子どもの隣に座れた。 その時間があったから、夜が荒れなかった。

    切ってあるだけでいい。 ただそれだけで、夜の空気が少し変わることがある。


  • 「何作ろう」が一番、夜を止める。


    料理が大変なんじゃなかった。

    疲れて帰ってきて、冷蔵庫を開けて、止まる。 何があるかな。 これとこれ、合わせられるかな。 今日疲れてるし、何にしよう。

    その「止まる時間」が、じわじわ夜を削っていた。

    料理そのものより、 「何作ろう」で消耗してたんだと気づいたのは、わりと最近のことだ。


    「何作ろう」で、すでに消耗してる

    夕飯前の冷蔵庫の前。 疲れた頭で、あるものを眺めて、献立を考える。

    献立が浮かばない。 子どもが食べるかどうか、考える。 時間もないし、でも手を抜きすぎるのも、と思う。

    料理を始める前に、すでに消耗している。 その状態でキッチンに立つから、余裕がなくなる。 余裕がなくなるから、夜の空気が荒れやすくなる。

    問題は、料理じゃなかった。 「何作ろう」だった。


    「これなら何とかなる」状態があると、止まらない

    切り野菜がある。 味付け肉がある。

    それだけで、夕飯は完結する。

    鍋に入れてもいい。 オーブンに並べてもいい。 フライパンで焼くだけでもいい。 具だくさんスープにしてもいい。

    「何作ろう」じゃなくて、 「どう火にかけるか」だけ考えればいい。

    その違いが、夜の止まり方を変える。

    判断しなくていい状態が、 キッチンで止まらない夜をつくってくれる。


    土台があると、夜の空気が変わる

    切り野菜と味付け肉がある。 出汁がある。

    それだけで、「何作ろう」がなくなる。 キッチンで止まらない分、消耗しない。 消耗しない分、子どもの隣にいられる。

    夕飯に手をかけなかった夜の方が、 なんとなく夜が整った気がすることがある。

    料理が凝ってるかどうかじゃなくて、 キッチンで止まらなかったかどうか。 その違いが、夜の空気をつくってる気がしてる。


    頑張る料理じゃなくていい

    「何作ろう」で止まらない状態を、少し作っておくだけ。

    切り野菜を仕込んでおく。 肉に下味をつけておく。 出汁だけ、用意しておく。

    それだけで、夜は少し流れやすくなる。 家の空気が、少し荒れにくくなる。 子どもとの時間が、少し残るようになる。

    頑張った感じはしない。 でも、夜が整う。

    そういう夜を、少しずつ増やしていけたらいい。


  • 頑張ってないのに、”ちゃんと夜が回った感じ”がする日の話


    今日、別に頑張ってない。

    豪華なご飯じゃなかった。 キャベツと肉を鍋に入れて、出汁の素を入れただけ。 特別なことは、何もしてない。

    でも、なんとなく夜が整った気がする。 そういう日が、たまにある。

    その違いって何だろう、と最近よく考える。


    頑張った夜より、整った夜の方が満足する

    凝った料理を作った日が、いい夜とは限らない。

    時間をかけて作ったのに、子どもが食べなかった。 キッチンに立ちっぱなしで、気づいたら夕飯の時間が終わってた。 ご飯は美味しかったけど、なんかくたびれた。

    そういう夜もある。

    反対に、 鍋を火にかけて、その間に子どもの話を聞いてた。 一緒に本を読んだ。 宿題を横で見てた。 ご飯は全然凝ってないけど、なんかちゃんとした感じがする夜もある。


    「ちゃんとした感」の正体

    最近、これだと思ってる。

    自分が納得できるご飯を、 時間もお金もかけずに作れて、 空いた時間で、子どもがやりたいこと、私がやりたいことができた夜。

    料理が凝ってるかどうかじゃない。 子どもが満たされてるかどうかでもある。 でも一番は、その夜の時間が、ちゃんと自分たちのものになってたかどうか。

    ご飯に消耗しなかった分、 子どもに向き合えた。 それが、満足の夜なんじゃないかと思ってる。


    うちの場合:鍋とスープと、ほったらかし

    冬はキャベツと肉だけの鍋をよくする。 出汁をたっぷり入れる。何もなければ、出汁の素でもいい。

    豪華じゃない。 でも、ちゃんと温かい。 家族が満足して食べてくれる。 そして、作るのに消耗しない。

    具だくさんスープも同じ。 切り野菜があれば、鍋に入れるだけ。 ほったらかしてる間の時間が、その夜を整えてくれてる気がする。

    うちはこれ以外に、オーブンと蒸し料理もよく使う。 切って入れたら、あとは待つだけ。 唐揚げも、煮込みも、蒸し野菜も、ほったらかしでできてしまう。 その間の時間が、そのまま子どもとの時間になる。

    → ほったらかし調理編で、もう少し詳しく書きます。


    出汁が、夜を助けてくれる

    出汁さえあれば、どうにでもなる。 具材から自然に出汁が出るから、味は勝手に決まっていく。 出汁の素でじゅうぶん。

    豪華じゃなくても、ちゃんとおいしい。 それだけで、夜の満足度がぜんぜん違う。

    (出汁と具だくさんスープの話は、別の記事でじっくり書きます。)


    頑張らなかった夜が、いい夜だったりする

    頑張った夜より、荒れなかった夜の方が、 なんとなくちゃんとした感じがする。

    ご飯に消耗しなかった。 子どもがすんなり食べてくれた。 空いた時間で、やりたいことができた。

    そういう夜を、もう少し増やしていけたらいい。 そのために、ご飯は頑張りすぎなくていいと思ってる。


  • 「早くして!」が増える日は、だいたい家が詰まってる。


    「早くして!」 今日何回言っただろう。

    歯磨きで止まる。 お風呂で止まる。 宿題で止まる。 次に動かない。

    怒りたいわけじゃない。 でも、どこかが詰まると、 家の空気は少しずつ荒れていく。

    最近、それって性格の問題というより、 流れの問題なんじゃないかと思ってる。


    「早くして!」が増える日の共通点

    観察してみると、怒る量が増える日には、だいたい共通点があった。

    空腹のまま、動かそうとしてた。 疲れてるのに、すぐ動くことを求めてた。 次に何をすればいいか、子どもに見えていなかった。 そして、親も疲れてた。

    全部重なると、家の空気が一気に荒れる。


    観察してて、気づいたこと

    うち、空腹だと全部止まる。 帰ってきてすぐ動かそうとしてたけど、 おなかがすいてたら、何も入らないんだよな、と気づいた。

    疲れてる日は、切り替えに時間がかかる。 少しほっといてあげると、 なんとなく自分で動き出す日がある。

    宿題は、子どもと先生の約束だ。 だから、私がやらせようとするのをやめた。

    「いつやる?」と聞くと、 「20分後」と言う。 本当にやる日もある。 まったくやらなくて、私がイライラする日もある。

    でも、やらせようとするから腹が立つんだよな、と気づいてから、 少し楽になった。

    タイミングを任せる。 約束であることだけ、伝えておく。 それくらいしか、できないし、それでいいのかもしれない。


    「怒らない家」じゃなくていい

    怒らない親になろうとしなくていい。 それは、たぶん無理だから。

    でも、やらせようとする場面が減ると、 「早くして!」を言う回数が減る夜がある。

    怒る量が減るのは、 親が頑張ったからじゃなくて、 流れが詰まらなかったから。

    そういう夜が、少しずつ増えるといい。