homeflow — childmade & taste
子どもが作ったものを、全部取っておくわけではない。
園や学校から持って帰ってくるものはたくさんあるし、紙も工作も、気づけばどんどん増えていく。全部を飾ることも、全部を残すことも、うちではたぶん無理だ。かわいいと思っても、しばらく置いて、いつの間にか片づけるものもある。
もちろん、子ども本人が残したいと言ったものは残している。でも、本人がもういらないと言っても、私が捨てられないものがある。
紙粘土と絵の具で作った人形がある。両手を上げて、青いワンピースを着て、赤い靴を履いている。顔も形も、きれいに整っているわけではない。でも、めちゃんこかわいい。見るたびに、なんでこんなにかわいいんだろうと思う。
ずっと飾っている。
子どもが作ったから、というだけではないと思う。もちろん、作った時のことや、その子の年齢や、持って帰ってきた日のことも、どこかには残っている。でも、それだけなら、他にもたくさんある。これはたぶん、私が好きなのだ。私の好みの中に、すっと入ってきてしまった。
別の子が描いた絵も、しばらく飾っていた。たしか、クジラの絵だったと思う。ピンクとオレンジの配色のバランスがすごくよくて、壁にあると少しハッピーになる絵だった。子どもの絵だからかわいい、というより、色の感じがよかった。そこにあるだけで、部屋が少し明るく見えた。
でも、飾っているうちに剥がれてきて、破れそうになったので、泣く泣く引き上げた。紙のものは、ずっと同じようには置いておけない。好きでも、弱い。そこも少し切ない。
上の子が描いた、弟が寝ているところの絵もある。小学校低学年の頃だったと思う。弟が風邪をひいて寝ていたところを描いたのだったかもしれない。
これも、ほんまに素敵なのだ。
上手いとか、似ているとか、そういうことではない。大人なら整えてしまうようなところが、その絵には残っている。見ていると、たしかにそう見えていたのかもしれない、と思う。うまく言えないけれど、ちゃんと見てしまう。
もちろん、どれもその時だけのものだし、簡単には戻れない時間のものではある。でも、思い出だけなら、きっと他にもある。私が残したくなるものは、色が好きだったり、形が好きだったり、表情が好きだったり、全体の空気がよかったりする。
私の好みで、残っている。
だから、全部ではない。
でも、これは捨てられんわ、と思うものがちょいちょいある。
青いワンピースに赤い靴の人形。壁にあるとハッピーだったクジラの絵。弟が寝ているところを描いた絵。どれも、きれいに整った作品ではない。でも、そこにしかない空気がある。
家にあるものは、買ったものだけではできていない。
誰かが作って、持って帰ってきて、なんとなく置かれて、気づいたら残っているものがある。残そうと決めたというより、残ってしまったもの。捨てようとすると、ちょっと待って、と思うもの。
これは捨てられんわ。
そう思うものが、家の中に少しある。
それはたぶん、子どもの作品だからではなく、私が本当に好きなものだからだと思う。
text — homeflow編集部