投稿者: homeflow_admin

  • 来客用と、日常のあいだ。

    homeflow — thing & time

    ゴールドのトレーの上に、好きなコップや器をいくつか並べている。フルッタグラス、結婚祝いにもらったかわいい湯飲み、金継ぎした最初の作品。来客用、といえばそうなんだけど、完全にそういうわけでもない。

    湯飲みは、割れてしまって捨てられなくて、金継ぎをやってみた最初のものだ。作品として閉じてしまうより、また使いたかった。だから、しまいこまずにトレーの上に置いている。お客さんが来た時には出すし、そうでない時は、そこにいる。

    星の王子さまのお茶碗もある。上の子が小さい頃に使っていたもので、母と陶器市に行った時に買ってもらった記憶がある。これも金継ぎ済みで、最近は下の子がそろそろ使えそうで、また日常に戻してみたりしている。完全な来客用ではなく、日常と来客のあいだを、ゆっくり行き来している感じだ。

    オープンラックに置いているから、正直、ほこることもある。お客さんが来る前には洗い直す。それが少し現実だ。でも、そこに並んでいる景色が好きで、しまおうとは思わない。

    ゴールドのトレーの上に並んでいる景色が好きで、少しよそゆきの空気もある。でも、また使える場所にある。大事にしまいこむより、生活の近くに置いておきたい。また使うために、そこに置いているのかもしれない、という感じが一番近い気がする。

    text — homeflow編集部

  • 漂白された布巾が好き。

    homeflow — kitchen & white

    布巾はすぐ何かの色がつく。料理をすれば、何かが染みる。赤い線の入った布巾でも、気にせず漂白してしまうから、線の色もすぐ褪せる。それでも、漂白する。

    真っ白な布巾は好きだ。でも、新品の白だけが好きなわけではない。何度も使われて、汚れて、漂白されて、また白へ戻ってくる布巾にも、なんか落ち着く白がある。

    実家では、布巾がタオルだった。いつも真っ白で、ふかふかだった。自分の家ではタオルだとかさばるから布巾を使っている。実家ほど綺麗に白いわけではないけれど、それでもしょっちゅう漂白している。白へ戻そうとする感覚は、たぶん実家から来ているんだと思う。

    完全に綺麗にしたい、というより、布巾が白へ戻ると、キッチンの空気が少し戻る感じがする。完璧な白ではない。でも、使われた白が、また少し白へ近づいていく感じ。それだけで、なんか気持ちがいい。

    丁寧な暮らしの話ではなく、毎日汚れるものを、また少し白へ戻したいという話。キッチンの空気が少し整う。それだけのことなんだけど、なんかずっと、白へ戻ってくる。

    text — homeflow編集部

  • 好きな器の話。

    homeflow — thing & air

    バルセロナの蚤の市で、白い大皿を買った。サタルニア系の、少し業務用っぽい白いお皿で、大皿、ステーキ皿、取り皿。重たかったけど値切って、「まぁいっか!」で旦那に持って帰ってもらった。今、すごくウキウキ使っている。

    日本の柄の入った焼き物も好きだ。沖縄で買ったやちむん、宮島をぶらぶらしていた時にたまたま見かけた色鍋島みたいな綺麗なお皿、京都の陶器市で買った薄紫の陶器の器。系統だけ見ると、バルセロナで買った無骨な白い皿と全然違う。でも、並べると、なんとなく落ち着く。

    たぶん、「同じテイスト」で好きなんじゃなく、同じ空気が流れているものを好きになっている気がする。少し揺れていて、整いすぎていない。生活へ混ざった時に、空気が少しやわらかくなる感じ。そういうものへ、なんとなく惹かれているんだと思う。

    そのものの空気感が一番だけど、どこで出会ったかも、少しだけ器の空気に混ざっている気がする。使う時に、その場所の感じや、歩いていた時の空気が、ふわっと一緒に出てくることがある。旅の思い出を飾りたいわけではない。でも、生活の中でそういうものがふっと立ち上がる感じが、なんか好きだ。

    好きな器は、同じシリーズでも同じテイストでもない。でも使っているうちに、少しずつ家の空気へ混ざっていく。そういう器が、なんか好きなんだと思う。

    text — homeflow編集部

  • 木のトレーは、少し時間をゆっくりにする。

    homeflow — thing & time

    一人のお昼ご飯の時、木のトレーにご飯と飲み物を乗せて、ソファへ持っていく時間が好きだ。それだけのことなんだけど、少しだけ時間がゆっくりになる感じがする。子どもがいる時はやらない。真似されるし、危ないし、ゆっくりどころじゃなくなるから。だから、一人の昼だけ。

    ガラスを乗せると、特に抜けが良くなる感じがして、少し空気が静かになる。木とガラスの組み合わせが、なんか好きだ。同じ木のトレーでも、なんとなく「こっちへ乗せたい」と思うものがある。うまく説明できないけど、なんか好き。

    子どものおやつを木のトレーへ置いておくこともある。帰ったら嬉しいかな、と思って。でも帰宅すると、食べ散らかしたお菓子の袋と菓子クズがそのまま乗っていて、少し悲しい気持ちになることがある。だから、たまにしかしない。

    パンを並べる時も、木のトレーが好きだった。好きなの取ってね、みたいな感じで。でも子どもが大きくなると、サイズが全然足りなくなって、最近は大皿ばかり使っている。木の温かい感じは今も好きなんだけどな、と思いながら、最近は棚に並べている。

    使っていない時も、なんとなく雰囲気がある。立てていても、重ねていても、そこにあるだけで少し空気がやわらかくなる感じがする。飾っているわけではなくて、ただそこにある。木って、そういう感じがする。

    時間をゆっくりにするものが、家の中にあるといい。木のトレーは、自分にとってそういうものだと思う。菓子クズが乗っていても、なんか好きだ。

    text — homeflow編集部

  • 透明なコップは、少し空気を変える。

    homeflow — thing & light

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    ボデガへ飲み物を入れるだけで、少し空気が変わる感じがする。お茶でも、牛乳でも、アイスでも。透明なガラスへ入れると、何でも少し素敵になる。それだけのことなんだけど、なんかそれが好きだ。

    ボデガは、少し無骨なのに、生活へ自然に混ざる感じがいい。SサイズとMサイズ、両方ある。旦那には「そんな小さいコップで何飲むん?」と言われるけど、その小ささがかわいくて、Sの方が特に好きだ。

    ボルミオリロッコのステム付きグラスも、IKEAのステム付きグラスも好きだ。飲み物の色がステムへ少し透けて、光が下へ落ちる感じが、なんとも言えない。水でも、ジュースでも、ステムの中で少し揺れる。それだけで、テーブルの空気がちょっと変わる。

    ボデガを見つける前に、もっと好きだったグラスがあった。少しだけ揺れたガラスで、カラフェと一緒に木のトレーへ載せる時間が好きだった。でも割れてしまって、同じものはもう見つからなかった。ガラスは割れる。何個も割ってきた。でも、その繊細さも含めて、ガラスの良さなのかもしれない、と思うようにしている。

    氷を入れると綺麗だけど、氷の光は少し雑音に感じる時もある。どちらかというと、氷なしの静かな透明感の方へ、少しうっとりする。ガラスの中で、飲み物がただそこにある感じ。それが好きだ。

    透明なコップひとつで、少し空気が変わる。大げさじゃなく、ただそういうことが、なんか好きだ。

    text — homeflow編集部

  • うちには、”途中のもの”が多い。

    homeflow — time & living

    片付いていない、というわけではない。役目が終わったと思ったものは、処分している。でも、家の中にはずっと、”まだ時間が終わっていないもの”が残っている。

    子どもの年齢差が少しあるから、一度役目が終わったと思った服やおもちゃが、また生活へ戻ってくることがある。小さくなった制服も、下の子が着る流れがまだ続いているから、手放せない。水着も、伸びて着られないものもあるけど、意外とまだ使えるものがある。洋服もそうだ。「また使うかも」とは少し違う。流れがまだ続いているから、今は動かせない、という感じに近い。

    絵の具道具、裁縫道具、クレヨン、体操服。完全に終わった感じがまだしない学用品が、外の物置や、二階の押し入れや、クローゼットの中に、静かに積み重なっている。捨てられないのではなくて、まだ終わっていない。その違いが、自分の中ではけっこう大きい。

    だから家の中には、違う時間が同時に流れている感じがする。少し前の時間のものと、今のものと、これからまた戻ってくるかもしれないものが、ひとつの家に重なっている。完成した家というより、いろんな時間が少しずつ動き続けている家だ。

    整理したい気持ちはある。でも、まだ終わっていない流れを、無理に終わらせたくない。時間が終わったものは手放せる。途中のものを片付けることは、少し違う気がしている。

    途中のものが多い家、というのは、生活が長く流れている家なのかもしれない。ごちゃごちゃが好きなわけではない。でも、家の中でいろんな時間が重なっている感じは、悪くないと思っている。

    text — homeflow編集部

  • 冷蔵庫も、生活の流量に負ける。

    homeflow — kitchen & flow

    昔は、もう少し管理できていた。場所を決めて、戻す場所を決めて、それなりに整っていた。冷蔵庫を開けると、少し呼吸できる感じがあった。

    でも、子どもが大きくなるにつれて、生活の量が増えた。牛乳がどんどん消える。飲みかけのものが増える。子どもの食べかけ、母が持ってきたおかず、下処理前の肉、発酵の途中。残り物は昼にスープへ流す。そういう生活の途中が、次々と冷蔵庫に流れ込んでくる。

    構造は決めている。トレーでざっくり仕切って、それぞれ戻す場所がある。でも、流れ込んでくる量が、構造の容量を少し超えてくる。整っていた場所に、途中のものが重なる。そういうことが、静かに積み重なっていく。

    「ごちゃごちゃが好き」なわけではない。本当は、呼吸できる冷蔵庫に戻したい。開けたときに、少し空気が抜ける感じ。昔はそれがあった。今は少し詰まっている。

    気力があるとき、一気に下処理をする。肉を切って、魚を捌いて、まとめて仕込む。そうすると一時的に整う。でも、生活はまた流れてくる。次の日には、また途中のものが増えている。ON/OFFを繰り返しながら、なんとか回している感じだ。

    最近は、完璧に管理しようとすることより、流れを止めない方向へ少しずつ重心が移っている気がする。整えたい気持ちは今もある。でも、生活の熱量がそれを上回る日もある。そういう時期なんだと思う。少し諦めもあるし、でも戻したい気持ちもある。両方、ある。

    綺麗に管理できない、ということではない。今の生活量に、構造が追いついていない、ということだと思う。冷蔵庫も、生活が流れている場所なんだと、少し思い直している。

    text — homeflow編集部

  • ガラスが好き。

    homeflow — thing & light

    小さい頃、ビー玉とおはじきが無性に好きだった。みんな好きだと思っていたけれど、好きな理由が少し違ったのかもしれない。色とか、透け感とか、飴みたいな光とか。そういうものにずっと惹かれていた。

    おばあちゃんちに古いガラス器があった。蔵に入っていたものを出してきて、綺麗に洗うと、急に光が戻る感じがした。完璧に透明なものより、少し歪んで、手作り感のあるあたたかい光のものが好きだった。今も、そっちが好きだ。

    昔住んでいた社宅に、木製建具とゆらゆらガラスの窓があった。取り壊しのとき、本気でもらおうと思った。でも当時は、リフォーム済み中古を買った直後で、生活へ戻す場所がなかった。今でも少し惜しい、と思うことがある。

    セカンドハンドで買ったガラスも好きだし、フルッタグラスも、ボルミオリロッコのボデガも好きだし、IKEAの少し無骨な脚付きグラスも好きだ。アンティークだから好きなわけでも、古いもの限定でもない。工業製品でも、好きなガラスはたくさんある。

    歴史的価値が好きなわけでもない。たぶん、ガラスそのものより、ガラスで変わる空気が好きなんだと思う。光が溜まる感じ、少し歪む視界、生活へ混ざっていく透明感。

    その辺の瓶を花瓶にする感じが好きで、ときどき「あ、これにお花さしたら素敵」と思う。漁船にありそうな大きいガラス瓶も昔から大好きだ。

    飾るためより、暮らしの中へ戻したい。生活に耐えるガラスが好きで、使われているガラスが好きだ。光がゆらっと回って、生活の空気に少し混ざっている感じ。なんか好きなんよね、という感じで、ずっとガラスへ戻ってくる。

    text — homeflow編集部

  • 片付けたいというより、流れを止めたくない。

    homeflow — air & flow

    「片付けて!」は毎日言っている。 普通に怒る。 でも怒りながら、頭の片側でなんか考えてしまう。 ランドセル、宿題終わるまで戻したくないよね、とか。 戻す場所、そこじゃないよね、とか。

    だらしないとばかり思っているわけでもなく。 「なんでここで止まるんだろう」が気になる。 流れが詰まる場所には、だいたい理由がある。 戻す場所がない、戻しにくい、途中だから戻せない。 そういうことが多い気がする。

    居場所のないものが増えると、空気が止まる感じがする。 ストック、季節服、床置きのプリント、途中の洗濯。 一個一個は大したことじゃない。 でも、漂流しているものが視界に積み重なると、 息苦しくなる。 散らかりへの苛立ちではなくて、 流れが詰まっている感じへの苦しさだと思う。

    掃除は普通に苦手だし、家事が得意なわけでもない。 でも、「空気が止まる感覚」にはかなり敏感で、 だから収納も、見た目より流れで考えてしまう。 籠が増えるのも、オープンラックにするのも、 戻す場所を作りたい、という感覚からきている気がする。 「ここに戻せる」が一箇所あるだけで、 流れがだいぶ変わる。

    綺麗にしたいというより、詰まらせたくない。 片付けたいというより、流れを止めたくない。 たぶん、ずっとそういう感覚で家を動かしている。

    text — homeflow編集部

  • なんか、籠に入れたくなる。

    homeflow — space & air

    気づいたら、家中に籠がある。 ソファ下の籠、おもちゃの籠、保育園準備の籠、 洗剤ストックの籠、パントリー代わりの籠、子ども服の籠。 数えたことはないけど、たぶんかなりある。 なんでこんなに籠なんだろう、と思うことがある。

    子どもの頃から、おばあちゃんちの籠が好きだった。 何に使うわけでもないのに、なんか気になる。 かわいいとか、便利とか、そういう前に、 ただなんか、好きだった。

    既製品の”ザ・食器収納”みたいな家具が、昔から苦手だった。 食器棚を置くくらいなら、白いオープンラックがいい。 そこへ籠を置けば十分じゃないか、と思っていた。 最初は「いつでも入れ替えられる仮収納」のつもりだった。 でも、なんかしっくりきてしまった。 引っ越しでも結局持っていく。 気づけば、オープンラックと籠のセットが ずっと家にある。

    籠が好きな理由を考えると、 「収納できる」より先に、 視界が少し落ち着く、という感覚がある気がする。 ラベルや色や途中のものを、少しだけ逃がしたい。 完全に閉じたいわけではない。 扉の向こうへ消したいわけでもない。 オープンラックに籠が置いてある、くらいの”抜け”が、 ちょうどいい。

    漂流しているものを、一旦戻せる場所。 空気を少し休ませる場所。 収納というより、たぶんそういうものとして 使っているんだと思う。

    完成された収納というより、 生活と一緒に動いている感じがする。 中身は変わっても、籠はずっとそこにある。 なんか好きなんよね、という感じで、 結局ずっと、籠へ戻ってくる。

    text — homeflow編集部