キッチンから、ずっと生活の音がしていた。

homeflow — memory & living

実家は、静かな家ではなかった。 隣に保育園があって、近くに小学校もあって、 昼は子どもの声がかなり普通に聞こえた。 週末はグラウンドの野球部の声も届いた。 静かな田舎というより、人が暮らしている音が 外からも中からも混ざっている家だった。

季節の音もあった。 夏の朝はヒグラシで、春先のウグイスは毎年どこか下手で、 秋はキリギリスと鈴虫が重なって、 朝方はキジがうるさかった。 冬は庭のミカンを巡って鳥が喧嘩していた。 父と母の喧嘩も、普通にあった。 全部が心地いい音だったわけじゃない。 でも、家のどこかで、ずっと何かが動いていた。

普段は鳥の声に起こされる家なのに、学生の頃、週末に昼まで寝ていると、 2階ホールのミシンの音がしてくる。 「起きなさい」ではなく、母が普通に生活を始めている。 しびれを切らして、ミシンを踏み始めた感じ。 掃除機も昔から少し苦手で、 始まった瞬間に「あ、起きなきゃ」となる感じがあった。 掃除機の音は母も少し不機嫌だったんだと思う。いつもの生活が流れ始めている音だった。

キッチンには、いつも母がいた。 鍋の音、水の音、包丁の音、冷蔵庫の開く音。 昨日の魚のアラで出汁をとって、 出汁がらを味噌と和えて、 骨付き肉からスープをとる。 ずっと何かを仕込んでいる感じで、 台所の音が、家の底に流れていた。 音と匂いが混ざって、 それが”暮らしている空気”になっていた。

今は子どもたちの声が全部かき消している。 外の音も台所の音も、たぶん聞こえていない。 それでも、生活の音がどこかで流れている家にいると、 安心する感覚が自分にはある。 止まっていない感じ、というか。 家が生きている感じ、というか。

実家で育った時間が、 そういう感覚のルーツになっているのかもしれない。 静けさより、流れている生活の方を、 ずっと家として覚えている。

text — homeflow編集部