公園の駐車場で、少しぼーっとしていた。

homeflow — park & memory

学生の頃は、ぼーっとするのが好きだった。

大きい公園に車で行って、そのまま駐車場で少しぼーっとしていることがあった。
ピクニックができそうな、芝生があって、木があって、車で行けるような公園。

本当は、車を降りて芝生に寝転びたくなる。
でも、さすがに一人で寝転んでいたら、ちょっと変な人かなと思ってやらなかった。

そのかわり、車のシートを倒してゴロンとする。

それも、なかなか気持ちよかった。

公園に来たのだから、降りて歩けばいいのに。

でも、なんとなく車の中にいる方がよかった日もある。

外に出たいわけではない。
でも、家や部屋の中にいたいわけでもない。

公園の近くまで来て、車の中から空や木を見ているくらいが、ちょうどよかったのかもしれない。

特に理由はない。
ただ、少し守られている感じの方がいい時もある。

今でもたぶん、ぼーっとするのは好きだ。
でも今は、いろいろ気になる。
子供とか、子供とか、子供とか。

公園に着いたら、だいたい、さあ行こう、となる。
車を停めて、ドアを開けて、後部座席に散らばったものをかき集める。

ちゃんと荷物をまとめて出発したはずなのに、なぜか水筒とか帽子とかお菓子の袋とか、いろいろ散らばっている。

最近は少ししっかりしてきたので、かき集める量も少し減った気がする。

それでも、駐車場で一人でぼーっとする感じではない。

でも、大きい公園の駐車場に車を停めると、たまに思い出す。

あのまま少しだけ座っていた時間。
何をしていたわけでもない。
たぶん、ただぼーっとしていただけだ。

text — homeflow編集部