今日、別に頑張ってない。
豪華なご飯じゃなかった。 キャベツと肉を鍋に入れて、出汁の素を入れただけ。 特別なことは、何もしてない。
でも、なんとなく夜が整った気がする。 そういう日が、たまにある。
その違いって何だろう、と最近よく考える。
頑張った夜より、整った夜の方が満足する
凝った料理を作った日が、いい夜とは限らない。
時間をかけて作ったのに、子どもが食べなかった。 キッチンに立ちっぱなしで、気づいたら夕飯の時間が終わってた。 ご飯は美味しかったけど、なんかくたびれた。
そういう夜もある。
反対に、 鍋を火にかけて、その間に子どもの話を聞いてた。 一緒に本を読んだ。 宿題を横で見てた。 ご飯は全然凝ってないけど、なんかちゃんとした感じがする夜もある。
「ちゃんとした感」の正体
最近、これだと思ってる。
自分が納得できるご飯を、 時間もお金もかけずに作れて、 空いた時間で、子どもがやりたいこと、私がやりたいことができた夜。
料理が凝ってるかどうかじゃない。 子どもが満たされてるかどうかでもある。 でも一番は、その夜の時間が、ちゃんと自分たちのものになってたかどうか。
ご飯に消耗しなかった分、 子どもに向き合えた。 それが、満足の夜なんじゃないかと思ってる。
うちの場合:鍋とスープと、ほったらかし
冬はキャベツと肉だけの鍋をよくする。 出汁をたっぷり入れる。何もなければ、出汁の素でもいい。
豪華じゃない。 でも、ちゃんと温かい。 家族が満足して食べてくれる。 そして、作るのに消耗しない。
具だくさんスープも同じ。 切り野菜があれば、鍋に入れるだけ。 ほったらかしてる間の時間が、その夜を整えてくれてる気がする。
うちはこれ以外に、オーブンと蒸し料理もよく使う。 切って入れたら、あとは待つだけ。 唐揚げも、煮込みも、蒸し野菜も、ほったらかしでできてしまう。 その間の時間が、そのまま子どもとの時間になる。
→ ほったらかし調理編で、もう少し詳しく書きます。
出汁が、夜を助けてくれる
出汁さえあれば、どうにでもなる。 具材から自然に出汁が出るから、味は勝手に決まっていく。 出汁の素でじゅうぶん。
豪華じゃなくても、ちゃんとおいしい。 それだけで、夜の満足度がぜんぜん違う。
(出汁と具だくさんスープの話は、別の記事でじっくり書きます。)
頑張らなかった夜が、いい夜だったりする
頑張った夜より、荒れなかった夜の方が、 なんとなくちゃんとした感じがする。
ご飯に消耗しなかった。 子どもがすんなり食べてくれた。 空いた時間で、やりたいことができた。
そういう夜を、もう少し増やしていけたらいい。 そのために、ご飯は頑張りすぎなくていいと思ってる。
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