刺繍を見ると、少し手が止まる。

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刺繍が好きだ。

でも、いつから好きだったのかと聞かれると、はっきりとは思い出せない。

たぶん最初は、洋服だったと思う。刺繍のある服を見ると、すごくかわいいなと思っていた時期がある。無地の布の上に、糸で模様がのっているだけで、急に空気が変わる感じがした。

それが花だったのか、鳥だったのか、幾何学模様だったのか、細かくは覚えていない。

ただ、刺繍があると目が止まった。

刺繍の服も、いくつか持っていた気がする。それを着ると気分が上がるような、少し自慢したくなるようなものも、たぶんあった。

でも、今はもうはっきり思い出せない。

それくらいなのに、刺繍が好きだった感覚だけは残っている。

プリントとは少し違う。布の上に色があるだけではなくて、糸が少し浮いている。近くで見ると、線が一本ずつある。そこに少しだけ厚みがある。

布に少し刺繍が入っているものも好きだ。

余白のある布に、ぽつんと糸の模様があるのもかわいい。端の方に少しだけ刺してあるものにも目がいく。

新婚旅行では、トルコの刺繍のクッションカバーを買った。それは、全面に刺繍がしてあって、布なんてただの台みたいだった。糸の色もよくて、ものすごくかわいかった。

トルコのクッション、という感じはある。けれど、いかにもトルコのお土産です、という強さとは少し違った。柄も色も、どこか見たことがない感じで、日本ではまだ同じようなものに出会ったことがない。

布に少し刺繍があるものも好きだけれど、あれはまた違った。

布の上に刺繍があるというより、刺繍が布の表情そのものになっていた。糸が重なって、色が重なって、ただの布だったものが、別のものになっている感じがした。

今思うと、刺繍そのものだけを見ていたわけではなかったのかもしれない。

その頃の私には、刺繍のある服や布が、少し見慣れないものに見えていた。かわいいのだけれど、ただかわいいだけではなくて、少しだけ外から来たような感じがあった。

まだ、自分の中で名前がついていないものを見る感じに近かった。

自分でも、刺繍をしてみたことがある。 妹の結婚式に、全面刺繍のリングピローを作った。子どものTシャツに、小さく名前を刺したこともある。やってみると、刺繍は思っていたよりずっと大変だった。小さなものでも時間がかかるし、布によっては針がなかなか通らない。かわいくしたいと思って始めたのに、途中で、なんでこんな図案にしたんだろうと思うこともあった。

それでも、刺している時間はどこか楽しかった。

見るだけだった刺繍の中に、少しだけ手の時間が見えるようになった。

最近は、刺繍のあるものがとても普通になった気がする。服にも、雑貨にも、刺繍は当たり前のように入っている。かわいいものもたくさんある。

それはいいことなのだと思う。

でも、前ほど目が止まらなくなった。

刺繍が嫌いになったわけではない。今でも好きだし、かわいいと思う。

ただ、昔の私が見ていた刺繍には、もう少しだけ、特別な空気があったのかもしれない。

布の上に糸がのっているだけで、何かが変わったように見えた。

その感じが、好きだったのだと思う。

刺繍を見ると、今でも少し手が止まる。

刺繍について詳しく語れるわけではない。技法の名前も、国ごとの違いも、ちゃんと説明できるわけではない。

でも、トルコのクッションカバーのことは覚えている。

布なんてただの台みたいで、糸の色がよくて、全面が刺繍で埋まっていた。

昔持っていた刺繍の服のことは、もうあまり思い出せない。

それでも、刺繍を見ていた時の感じだけは、少し残っている。

たぶん私は、刺繍そのものだけではなく、刺繍がまだ少し見慣れないものに見えていた頃の空気が好きだった。

そういうものを見ると、少し手が止まっていた。

text — homeflow編集部