好きなものが、混ざっている。

キッチンの棚の上に、いろんなものが置いてある。

花瓶。ガラスの容器。梅干しを漬けた瓶。リサ・ラーソンの花瓶。トルコブルーの壺みたいな鍋。唐辛子の束みたいなドライフラワー。子どもが作った人形。子どもの抜けた歯を入れた、小さな入れ物。

統一感は、ない。 テーマも、特にない。 でも、朝ここを見るのが好きだ。


なんで好きなんだろう、と思う時がある。

ガラスが多いからか。 陽が入ってくる時間に、光がすっと抜けていく感じは、たしかにいい。 でも、それだけでもない気がして、ちゃんと考えたことはなかった。


子どもの絵が、時々混ざる。

アートとして完成されてるかといったら、そうじゃない。 でも、そこに置いている。

見るたびに思い出す。 「これ好きだよ」って言った時の、照れくさそうな顔。 その時誰かが何か言って、笑った感じ。 夕方の、あの空気。

絵というより、その時間ごと置いてある感じがする。


綺麗に整った空間も、普通に好きだ。 余白があって、好きな家具だけが置かれていて、光が静かに落ちる部屋を見ると、「素敵だな」と思う。

でも、自分がそこに住むなら、たぶん何かを混ぜたくなる。 ガラスの瓶とか、少し古いものとか、子どもが作った変な人形とか。 そういうものが少し入ると、急に自分の空気になる感じがする。


梅干しの瓶が置いてあって、 リサ・ラーソンの花瓶が置いてあって、 子どもの歯が小さな入れ物に入っていて、 トルコブルーの鍋が鎮座している。

雑多といえば雑多だ。 でも、光は通っている。

なんか、好きだ。 うまく言えないけど、好きな空気がある。


部屋全体も、木や天然素材が多い。 気づいたらそうなっていた。 何かを選ぶとき、素材に手が伸びていた、ということだと思う。

ホコリはちゃんと取りたい。でも、棚の配置を変えたいとは思わない。 このままでいい、という感じがずっとある。


なんでだろうな、とまだちゃんとわかっていない。

朝、陽が入ってきて、ガラス越しに光が落ちる。 子どもがどこかで何か言っている。 梅干しの瓶が、静かにそこにある。

暮らしが、続いている感じがする。