homeflow — glass & place
ずいぶん前、大きなガラス瓶を玄関に置きたいと思っていた。
丸くて、大きくて、少し古いもの。アンティークというか、古道具というか、前にどこかで使われていたような気配があるガラス瓶。
小さな花瓶ではなく、大きい瓶がよかった。玄関に、どんと置きたかった。
つるんと新しい花瓶ではなくて、少しゆがみがあったり、小さな気泡が入っていたりするものがよかった。光がまっすぐ抜けすぎず、瓶のあたりに少したまる。透明なのに、そこだけ空気が少し厚くなるような感じがした。
そこに、季節のものを挿したかった。
春先なら梅。その次は桜。花が終わったら葉もの。秋口にはススキをしばらく挿しておく。
きれいに花を飾りました、というより、外の季節が少し家に入ってくる感じがよかった。
冬は何がいいだろう。枝ものもいいし、赤い実もいい。みかんを入れてもかわいいかもしれない。でも、みかんはたぶん食べる。
そんなことまで含めて、昔の私はかなり好きだったのだと思う。
でも今、本当にそれを置くかと言われたら、少し違う気がしている。
場所のこともある。子どものこともある。大きな瓶を玄関に置いたら、ぶつかるかもしれないし、倒れるかもしれない。水も入るし、枝も入る。たぶん、今の家では気にすることが増える。
前に住んでいた古い社宅なら、今でも少し合ったかもしれない。玄関の少し暗い感じや、古い建具や、どこか余白のある空気の中なら、丸い古いガラス瓶は、もう少し自然にそこにいられた気がする。
だから、ガラス瓶が嫌いになったわけではない。あの瓶を置きたかった気持ちも、まだ少しわかる。
でも、それだけでもない。
今あらためて想像してみると、昔ほど胸が動かなかった。
古いガラス瓶。玄関。季節の枝。気泡の入ったガラスに、光がたまる感じ。
どれも好きなはずなのに、そのまま今の家に持ってきたい感じがしない。
今も、そういう景色が好きな人の家にあったら、きっと素敵だと思う。でも、自分の家に置くところまで想像すると、少し止まる。
昔好きだったものが、今の自分には少し合わなくなることがある。嫌いになったわけではない。趣味が悪かったとも思わない。ただ、そのまま今の家に持ってくると、少し違う。
たぶん私は、ガラス瓶そのものだけではなく、瓶のまわりに光がたまる感じが好きだったと思う。
季節が少し家に入ってくる感じも好きだった。古いものなのに、ガラスだから空気が重くならないところも好きだった。
そこは、今も好きだ。
でも、大きな瓶を玄関にどんと置くことは、今の私には少し違う。
大きな古いガラス瓶を置きたかったことがある。その気持ちは、今もわかる。
でも今は、たぶん置かない。
瓶そのものより、光が少したまる場所の方を、私はまだ探しているのだと思う。
text — homeflow編集部