ブログ

  • 平日の昼に、少しだけ息を整える。


    子どもたちは学校へ行った。 静かな昼間。

    会社が休みの日に、 夫と少しいいお店に行くことがある。

    特別な記念日じゃない。 ただの、平日の昼。


    白い器と、少し古いグラス

    静かな店内。 白い器。少し古いグラス。 ゆっくり流れる時間の中に、ただいる。

    呼吸が、少し深くなる気がする。

    特別なことは何もないのに、 なんだか整った感じがする。


    何より、お酒がおいしく飲める

    何より、お酒がおいしく飲める。 ワインでも、日本酒でも、ビールでも。 料理に合うお酒がある。 急がなくていい空気がある。 そういうお店が、好きだ。

    好きなお店には、共通点がある気がしてる。

    料理がおいしい。それが一番。 素朴な素材なのに、野菜の味が濃くて、 それがちゃんと感じられる調理がされてる。 きれいな盛り付け。落ち着いた雰囲気。 上質なものが、さりげなく使ってある。

    派手じゃない。 でも、ちゃんとしてる。

    それは、家で大事にしたいものと、 どこか同じ感覚な気がしてる。

    子どもを連れていかないから、落ち着いた空気が流れる。 たまにはそういう時間も、正直悪くない(笑)


    家が好きだから、外も楽しめる

    家が好きだ。 帰ってくるとほっとする。 子どもたちがいる空間が、好きだ。

    外にも、好きなものがある。

    おいしい料理。 合うお酒。 落ち着いた空間。 大人同士の会話。

    息抜きというより、 好きなものをゆっくり楽しみたい、という感覚に近い。

    子どもが楽しめない場所は、旦那と行く。 好きなものが似てるから、一緒にいると楽しい。

    家が好きだから、外も楽しめるのかもしれない。

    帰る場所がある。 ほっとできる場所がある。 だから、外に出ても楽しめる。

  • 子どもがちゃんと伸びてるって見えた日は、なんだか嬉しい。


    特別な日じゃなかった。

    誕生日でも、運動会でも、発表会でもない。 ただの、平日の夜。

    でも、なんだかすごく嬉しかった。


    こんな夜があった

    ゲームをしてた。 楽しそうに、夢中でやってた。

    時間になったら、自分で終わらせた。 歯磨きに、自分で行った。

    それだけ。 それだけなのに、なんだかウキウキした。

    ちゃんと育ってるんだな、と思ったら、 心がすごく軽くなった。


    全部できた日じゃなかった

    宿題、全部終わってたわけじゃない。 夜更かししてた日もある。 完璧な夜じゃなかった。

    でも、 自分で時間を見てた。 自分で動こうとしてた。 前より、少し伸びてた。

    そういう夜の方が、あとから心に残る気がしてる。


    「全部できたか」より、「伸びてるか」

    私は、主菜も副菜も作りたいし、 野菜もちゃんと出したい。 学習も見たいし、子どもに力をつけてほしい。

    全部ゆるくてOK、という感覚じゃない。

    でも、全部を親が握って、 ピリピリ管理したいわけでもない。

    最近は、 「全部できたか」より、 「自分で動こうとしてたか」 「前より少し伸びてたか」 「家の空気が壊れなかったか」

    そういう夜の方が、なんだかいい夜だった気がする。


    育っていく流れが、見えた夜

    毎日、なんとか回してる。 夕飯を作って、宿題を見て、お風呂に入れて、寝かせる。

    その繰り返しの中に、 ふと、「あ、育ってるな」と思う瞬間がある。

    自分でゲームを終わらせた。 歯磨きに行けた。 少し嫌でも、家庭学習を頑張った。

    誕生日みたいな特別な日じゃないのに、 なんだかすごく嬉しい。

    この毎日が、ちゃんと積み重なってたんだな、と思うと、 心がウキウキする。


    全部握らなくていい

    管理したいわけじゃない。 でも、放置したいわけでもない。

    その間で、毎日手探りしてる。

    でも、伸びてる流れが見えた夜は、 なんだかこの毎日が報われる気がする。

    完璧じゃなくていい。 全部できなくていい。

    ちゃんと育ってるんだな、と思える夜が、 たまにあるだけで、十分だと思ってる。

  • ママが詰まると、家も止まる。


    家が荒れていたというより、 自分が詰まっていたんだと思う。

    最近、そう感じるようになった。


    外で頑張りすぎると、家で止まる

    昔の私は、外で頑張りすぎていた。

    仕事で気を遣う。 ちゃんとしようとする。 全部回そうとする。 完璧にやろうとする。

    家に帰る頃には、もうエネルギーが切れてた。

    その状態で、 宿題、お風呂、歯磨き、夜ご飯、兄弟げんかが始まる。

    怒りたいわけじゃないのに、声が大きくなる。 子どもに当たってしまう。 夜の空気が、じわじわ重くなっていく。

    あの頃は、子どもが原因だと思ってた。 でも今思うと、自分が詰まってただけだった。


    ある時期から、急に楽になった

    ある時期から、急に楽になった気がした。

    完璧じゃなくてもいいよね、って思えるようになったというか。 力の抜き方が、少しわかってきた気がする。

    適当になったわけじゃない、たぶん。 「これくらいでいい」の基準が、 自分の中に育ってきた感じに近い。

    外で頑張りすぎない。 ちゃんとやらない。 抱え込みすぎない。

    そうすると、不思議と家の空気が荒れにくい日が増えた。


    でも、綺麗に割り切れてはいない

    それでいいの? 社会ってそんな甘くないよね?

    その気持ちも、まだ普通にある。

    完璧にやらなくていい、と頭ではわかってても、 なんかもっとできたんじゃないかと思う夜もある。

    でも、家でずっとピリピリしてるより、 少し余白がある方が、 自分にも子どもにもいい気がしてる。

    まだ揺れてる。 でも、揺れながら、少しずつわかってきてる気もする。


    工夫は全部、自分を止めすぎないためだった

    出汁を仕込んでおく。 オーブンに任せる。 切り野菜を冷蔵庫に置いておく。 アレクサに声かけを預ける。

    これ、家を回すためだけじゃなかった気がしてる。

    自分のエネルギーを、残すためでもあった。

    キッチンで消耗しない分、子どもの話を聞ける。 声かけを任せた分、怒らなくて済む。 ほったらかしてる間に、少しだけ座れる。

    全部つながってた。


    ママが詰まると、家も止まる

    子どもの流れだけ整えても、 親が詰まってたら、夜は荒れる。

    だから、自分を詰まらせないことも、 家の流れをつくることの一つなんだと思ってる。

    完璧じゃなくていい。 力を抜いていい。 余白があっていい。

    そうやって、自分が少し整うと、 不思議と家の空気も、少し整う夜がある。

  • アレクサが鳴ると、家の時間が少し動き出す。


    親が毎回言うと、家の空気が重くなる。

    歯磨きしなさい。 宿題やった? お風呂入って。 もう寝る時間だよ。

    同じことを、毎晩何回も言う。 言うたびに、少しずつ空気が重くなっていく。 怒りたいわけじゃないのに、だんだん声が大きくなる。

    それが、じわじわしんどかった。


    声かけを、少し外に任せてみた

    アレクサに言ってもらうようにした。

    歯磨きの時間。 宿題やった? お風呂の時間だよ。 もう寝る時間。

    親が言うのと、機械が言うのと、 内容は同じなのに、空気が違う。

    親が言うと、どこかプレッシャーになる。 機械が淡々と言うと、不思議と荒れにくい。

    怒らなくていい。 何度も促さなくていい。 それだけで、夜の空気が少し変わった。


    時報みたいな存在になってきた

    命令してくる感じじゃない。

    うちではアレクサが「ご飯食べた?」と聞いてくれる。 それが鳴ると、子どもには「時間がやばい」らしい(笑) 命令じゃない。ただ、確認してくれるだけ。 でも、それだけで時間が動き出す夜がある。

    朝も同じで、 「あれが鳴ると、さすがにやばい」らしい。

    いつの間にか、家の時間の区切りみたいになってきた。 アレクサが鳴ったら、そろそろ動く。 そういう流れが、自然にできてきた。


    動かない日も、無視される日もある

    全部うまくいくわけじゃない。

    動かない日もある。 思春期になったら、無視される日も増えるかもしれない。

    でも、親が何度も言うより、空気が荒れにくい。 それだけで、だいぶ違う。

    動かない時は、怒らずに「いつやる?」だけ聞く。 自分で決めてもらう。 全部を管理したいわけじゃない。 「自分で決める」は、残しておきたい。

    あとでやる、は基本的に来ないと思ってるけど(笑) それでも、自分で言った時間には少し責任が生まれる気がしてる。


    管理でも、放置でもない

    全部管理したいわけじゃない。 でも、完全に放置もできない。

    その間で、アレクサがちょうどいい距離感でいてくれる。

    親じゃない。 でも、淡々と時間を教えてくれる。 怒らない。責めない。ただ、鳴る。

    その感じが、うちの夜にはちょうどよかった。

    家の時間が、少し流れやすくなった気がしてる。

  • 幸せすぎて、動けなくなる場所がある。


    ソファに座ると、止まる。

    あったかい。 力が抜ける。 テレビがある。毛布がある。家族がいる。

    「今日ここで終わりでいいか」 みたいな気持ちになる。

    子どもも同じで、 一回ソファに入ると、次の動きが重くなる。


    止まるのは、怠けじゃなかった

    歯磨きに行けない。 宿題に移れない。 お風呂に入れない。

    最初は、やる気の問題だと思ってた。

    でも観察してると、そうじゃない気がしてきた。 安心できる場所に入ると、人は止まる。 怠けてるというより、安心して止まってる感じに近い。

    帰宅後、ご飯後、お風呂後。 ソファに入るたびに、切り替えが重くなる。

    それは、そうだよなと思う。 幸せな場所から出るのは、誰だって重い。


    「切り替え」が、一番難しい

    やる気がないんじゃない。 次に何をすればいいか、わかってる。

    でも、動き出せない。

    温かい場所から、冷たい洗面所へ。 テレビの続きを途中でやめて、宿題へ。 家族がいるソファから、一人で歯磨きへ。

    その「切り替え」が、一番難しい。 大人だって、同じだと思う。


    観察してて、気づいたこと

    止まる場所がわかると、少し気が楽になった。

    怒る前に、 「ああ、またここで止まってるな」と思えるようになった。

    ソファを禁止しようとは思わない。 だって、幸せな場所だから。

    切り替えのきっかけだけ、少し考えるようになった。 テレビが終わったら動く。 お風呂あがりにそのまま歯磨きをセットにする。 アレクサに声をかけてもらう。

    止まる場所を責めるんじゃなくて、 そこから動き出しやすい流れを、少し作っておくだけ。


    帰ったら、ほっとできる場所であってほしかった

    特別なことをしたわけじゃない。 でも、家がそういう場所であってほしかった。 家族みんなにとって。

    ソファで動けなくなるくらい安心してるなら、 それはたぶん、悪くない。

    でも正直、ゲームばっかりしてると、 なんかやれーって思う(笑)

  • オーブンに入れてる間、夜が回る。


    オーブンに入れて、スイッチを押したら、離れられる。

    その間に、夜が少し回っていく。 最近、そう感じてる。


    キッチンに張り付かなくていい時間が、夜を変える

    料理中、ずっとキッチンにいなきゃいけない夜がある。 火加減を見て、混ぜて、焦げないか確認して。 気づいたら、子どもとほとんど話せなかった。

    オーブンに入れてしまうと、離れられる。

    子どもと一緒にお風呂に入れる。 そこで、今日あったことをゆっくり聞ける夜がある。 宿題を横で見られる日もある。 送り迎えに行ってる間、オーブンがご飯を作ってくれてる。 戻ってきたら、できてた。 そういう夜がある。

    キッチンから離れられる時間が、 夜の空気を守ってくれてる気がする。


    うちのオーブンの話

    凝った料理をしたいわけじゃない。

    野菜と肉を並べて、塩とオイルをかけるだけ。 それで一品できる。

    厚手の鍋をそのままオーブンに入れると、煮込み料理になる。 混ぜなくていい。火加減を見なくていい。 ほったらかしてるだけで、ちゃんとおいしくなってたりする。

    茶碗蒸しをオーブンで同時に作る日もある。 炊飯器で炊き込みご飯を仕掛けておく日もある。

    全部同時に動いてる間に、 お風呂に入って、子どもの話を聞いて、 戻ってきたら、ご飯ができてた。

    頑張った感じはしない。 でも、なんかちゃんとした夜になってたりする。


    「ほったらかしてる間に、夜が回ってた」

    オーブンに入れてる間、火を見なくていい。 混ぜなくていい。 キッチンにいなくていい。

    その時間が、そのまま子どもとの時間になる。 送り迎えの時間になる。 少しだけ座れる時間になる。

    料理してるのに、料理してない感じ。 でも、夜はちゃんと回ってた。

    最近、それが一番流れやすい夜だと思ってる。


    キッチンから離れられる時間が、夜の空気を守る

    凝った料理を作った夜より、 キッチンにいなかった夜の方が、 なんとなく夜が整った気がすることがある。

    子どもの話を聞けたから。 お風呂でゆっくりできたから。 送り迎えから戻ったら、ご飯ができてたから。

    オーブンに任せてる間に、 大事な時間が、そこにあった。

    頑張る料理じゃなくていい。 キッチンから離れられる時間が、夜を守ってくれる。 最近、本当にそう思ってる。

  • 出汁があると、なんとかなる。


    出汁があると、なんとかなる気がする。

    豪華じゃなくていい。 特別な食材じゃなくていい。 でも、あるとないとで、夜の止まり方が違う。

    最近、そう感じてる。


    出汁があると、夜が動き出す

    冷蔵庫を開けて、止まる夜がある。 何作ろう。何があったっけ。今日疲れてるし。

    でも、出汁があると、とりあえず火にかけられる。 具材を入れれば、鍋になる。 野菜を足せば、スープになる。 味がなんとか決まる。

    「何作ろう」で止まらない。 それだけで、夜が少し動き出す。


    うちの出汁の話

    完璧な無添加生活をしたいわけじゃない。 でも、自分なりの納得できるラインがある。

    味噌は母の手作りのものを使ってる。 安心感もあるし、何よりおいしい。 母の麹で、玉ねぎ麹を自分で作ってる。 煮干し粉を足すこともある。

    でも醤油は普通に買う。 出汁の素を使う日もある。 全部完璧にはやらない。できることしかしない。

    前日の夕飯が魚だったら、 余裕があれば骨から出汁を取っておく。 イワシはよく出る。手羽元も、出汁がおいしい。 余裕がなければ、捨てる。それでいい。

    野菜ブロスはやめた。 手間の割に、自分には味がわからなかった。

    今は、料理の最初に野菜を水に入れて火にかける。 あとはほったらかし。 その間にオーブンもかけて、お風呂も入って、 最後に戻ってきて味付けるだけ。 気づいたら、出汁も出てて、もう一品もできてた。 そういう夜が、一番流れやすい。


    玉ねぎ麹を作っている理由

    丁寧だからじゃない。

    普通においしいから。 罪悪感が少し減るから。 添加物に悩まされなくてもいい感じが、自分には心地いい。 家族がちゃんと「おいしい」と食べてくれる。

    うちにちょうどいい感じ、それだけ。

    手作りだから偉いとか、そういう話じゃない。 今の生活で無理なく回ること、夜が止まりにくいこと、 家族がちゃんと食べてくれること。 そっちの方が、ずっと大事だと思ってる。


    その家の、心地いいラインでいい

    気にならない人は、出汁の素で全然いい。 もっと気になる人は、全部無添加でももちろんいい。

    正解はない。 その家ごとの、心地いいラインがある。

    うちはたまたま、今のやり方がちょうどいい。 それだけの話で、これが正解というわけじゃない。


    出汁があると、なんとかなる

    出汁があると、とりあえず火にかけられる。 火にかけてほったらかしてる間に、夜が回っていく。 最後に味付けるだけで、なんとかなった夜がある。

    頑張った感じはしない。 でも、夜が整った気がする。

    出汁があると、なんとかなる。 最近、本当にそう思ってる。

  • 切ってあるだけで、夜は少し流れやすくなる。


    冷蔵庫に切り野菜がある日と、ない日。 夜の流れが、少し違う気がする。

    料理が上手くなったわけじゃない。 献立をちゃんと考えてるわけでもない。 ただ、切ってある。それだけなのに。


    キッチンで止まらなくなった

    以前は、冷蔵庫を開けてから止まっていた。

    何があるかな。 これとこれ、合わせられるかな。 今日疲れてるし、何にしよう。

    その「止まる時間」が、じわじわと夜を削っていた。

    切り野菜が冷蔵庫にあるだけで、 その止まりが、なくなった。 何作ろう、で消耗しなくなった。


    うちの切り野菜の話

    丁寧に仕込んでるわけじゃない。 フードプロセッサーで一気にやる。 とりあえず切ってある、それだけ。

    うちは玉ねぎは薄切り、にんじんは千切り、キャベツはザク切りにしておくことが多い。

    千切りならスープにもできるし、あんかけにも逃がせる。 ザク切りは鍋にもオーブンにも入れやすい。

    レタスはちぎって洗って、そのまま冷蔵庫に入れておく。 使いたい時にすぐ出せる状態にしておくだけ。

    玉ねぎは、皮を剥いて半分に切った状態で置いておくことも多い。 そこから切るのは、大変じゃないから。 ギューギュー焼きにもなるし、カレーにも、肉じゃがにもなる。 何にでもなれる状態にしておくと、夜に止まりにくい。

    保存は真空保存容器で。 それだけで、少し長持ちする。

    うちはベーコンは手作りだし、 味噌や麹は母の手作りのものを使ってる。 出汁の素も普通に使う。 全部じゃないけど、できるところだけ。

    醤油は普通に買うし、 忙しい日は全部出汁の素でいい。 全部完璧にはやらない。できることしかしない。

    切り野菜も、そのくらいの感覚でいい。 頑張って仕込むものじゃなくて、 とりあえずある状態にしておくもの。


    切ってあると、何にでもなれる

    切ってあると、何にでもなれる。

    鍋にもできるし、スープにもなる。 オーブンに入れてしまう日もある。 あんかけにする気力がある日は、少し贅沢な一皿になる。

    「何作ろう」で止まらないだけで、 夜は少し流れやすくなる。


    夜が整う感じは、料理からじゃなかった

    凝った料理を作った夜より、 キッチンで止まらなかった夜の方が、 なんとなく夜が整った気がする。

    切り野菜があったから、すぐ動けた。 すぐ動けたから、子どもの隣に座れた。 その時間があったから、夜が荒れなかった。

    切ってあるだけでいい。 ただそれだけで、夜の空気が少し変わることがある。


  • 「何作ろう」が一番、夜を止める。


    料理が大変なんじゃなかった。

    疲れて帰ってきて、冷蔵庫を開けて、止まる。 何があるかな。 これとこれ、合わせられるかな。 今日疲れてるし、何にしよう。

    その「止まる時間」が、じわじわ夜を削っていた。

    料理そのものより、 「何作ろう」で消耗してたんだと気づいたのは、わりと最近のことだ。


    「何作ろう」で、すでに消耗してる

    夕飯前の冷蔵庫の前。 疲れた頭で、あるものを眺めて、献立を考える。

    献立が浮かばない。 子どもが食べるかどうか、考える。 時間もないし、でも手を抜きすぎるのも、と思う。

    料理を始める前に、すでに消耗している。 その状態でキッチンに立つから、余裕がなくなる。 余裕がなくなるから、夜の空気が荒れやすくなる。

    問題は、料理じゃなかった。 「何作ろう」だった。


    「これなら何とかなる」状態があると、止まらない

    切り野菜がある。 味付け肉がある。

    それだけで、夕飯は完結する。

    鍋に入れてもいい。 オーブンに並べてもいい。 フライパンで焼くだけでもいい。 具だくさんスープにしてもいい。

    「何作ろう」じゃなくて、 「どう火にかけるか」だけ考えればいい。

    その違いが、夜の止まり方を変える。

    判断しなくていい状態が、 キッチンで止まらない夜をつくってくれる。


    土台があると、夜の空気が変わる

    切り野菜と味付け肉がある。 出汁がある。

    それだけで、「何作ろう」がなくなる。 キッチンで止まらない分、消耗しない。 消耗しない分、子どもの隣にいられる。

    夕飯に手をかけなかった夜の方が、 なんとなく夜が整った気がすることがある。

    料理が凝ってるかどうかじゃなくて、 キッチンで止まらなかったかどうか。 その違いが、夜の空気をつくってる気がしてる。


    頑張る料理じゃなくていい

    「何作ろう」で止まらない状態を、少し作っておくだけ。

    切り野菜を仕込んでおく。 肉に下味をつけておく。 出汁だけ、用意しておく。

    それだけで、夜は少し流れやすくなる。 家の空気が、少し荒れにくくなる。 子どもとの時間が、少し残るようになる。

    頑張った感じはしない。 でも、夜が整う。

    そういう夜を、少しずつ増やしていけたらいい。


  • 頑張ってないのに、”ちゃんと夜が回った感じ”がする日の話


    今日、別に頑張ってない。

    豪華なご飯じゃなかった。 キャベツと肉を鍋に入れて、出汁の素を入れただけ。 特別なことは、何もしてない。

    でも、なんとなく夜が整った気がする。 そういう日が、たまにある。

    その違いって何だろう、と最近よく考える。


    頑張った夜より、整った夜の方が満足する

    凝った料理を作った日が、いい夜とは限らない。

    時間をかけて作ったのに、子どもが食べなかった。 キッチンに立ちっぱなしで、気づいたら夕飯の時間が終わってた。 ご飯は美味しかったけど、なんかくたびれた。

    そういう夜もある。

    反対に、 鍋を火にかけて、その間に子どもの話を聞いてた。 一緒に本を読んだ。 宿題を横で見てた。 ご飯は全然凝ってないけど、なんかちゃんとした感じがする夜もある。


    「ちゃんとした感」の正体

    最近、これだと思ってる。

    自分が納得できるご飯を、 時間もお金もかけずに作れて、 空いた時間で、子どもがやりたいこと、私がやりたいことができた夜。

    料理が凝ってるかどうかじゃない。 子どもが満たされてるかどうかでもある。 でも一番は、その夜の時間が、ちゃんと自分たちのものになってたかどうか。

    ご飯に消耗しなかった分、 子どもに向き合えた。 それが、満足の夜なんじゃないかと思ってる。


    うちの場合:鍋とスープと、ほったらかし

    冬はキャベツと肉だけの鍋をよくする。 出汁をたっぷり入れる。何もなければ、出汁の素でもいい。

    豪華じゃない。 でも、ちゃんと温かい。 家族が満足して食べてくれる。 そして、作るのに消耗しない。

    具だくさんスープも同じ。 切り野菜があれば、鍋に入れるだけ。 ほったらかしてる間の時間が、その夜を整えてくれてる気がする。

    うちはこれ以外に、オーブンと蒸し料理もよく使う。 切って入れたら、あとは待つだけ。 唐揚げも、煮込みも、蒸し野菜も、ほったらかしでできてしまう。 その間の時間が、そのまま子どもとの時間になる。

    → ほったらかし調理編で、もう少し詳しく書きます。


    出汁が、夜を助けてくれる

    出汁さえあれば、どうにでもなる。 具材から自然に出汁が出るから、味は勝手に決まっていく。 出汁の素でじゅうぶん。

    豪華じゃなくても、ちゃんとおいしい。 それだけで、夜の満足度がぜんぜん違う。

    (出汁と具だくさんスープの話は、別の記事でじっくり書きます。)


    頑張らなかった夜が、いい夜だったりする

    頑張った夜より、荒れなかった夜の方が、 なんとなくちゃんとした感じがする。

    ご飯に消耗しなかった。 子どもがすんなり食べてくれた。 空いた時間で、やりたいことができた。

    そういう夜を、もう少し増やしていけたらいい。 そのために、ご飯は頑張りすぎなくていいと思ってる。