投稿者: homeflow_admin

  • 紙袋は、いる。たまる。

    homeflow — thing & paper

    紙袋は、いる。

    人に何かを渡す時にいる。ちょっとしたおすそ分けとか、借りていたものを返す時とか、子どもに何かを持たせる時とか。なくてもどうにかなる時もあるけれど、あると助かる。

    だから、置いておく。

    でも、置いておくとたまる。

    小さい紙袋、大きい紙袋、しっかりした紙袋、少しだけ可愛い紙袋。紙が厚めだったり、持ち手がちゃんとしていたり、色がよかったりすると、すぐには捨てられない。

    ちょっといい紙袋は、人に何かを渡す時に使う。あまりくたびれていなくて、ロゴが強すぎなくて、持った時にちゃんとして見えるもの。そういう紙袋は、なんとなく取っておく。

    でも、たくさんあるのに、いざ使おうとすると、ちょうどいいのがない。

    大きすぎる。小さすぎる。横に広すぎる。縦に長すぎる。持ち手が少しよれている。ロゴが目立ちすぎる。これはちょっと違うな、と思って戻す。

    紙袋は、あるだけではだめらしい。

    ちょうどいい紙袋がいる。

    その「ちょうどいい」が、なかなか難しい。入れたいものがすっと入って、持った時に変じゃなくて、相手に渡しても大げさすぎないもの。そういう紙袋は、あるようであまりない。

    だから結局、また置いておく。

    いるから置いておく。置いておくから、たまる。たまっているのに、ちょうどいいものは少ない。

    紙袋って、そういうものなのかもしれない。いると言いながら、たぶん少しだけ、捨てる決断を先延ばしにしている。

    text — homeflow編集部

  • 小さいスプーンは、つい買ってしまう。

    homeflow — thing & table

    小さいスプーンは、つい見てしまう。

    デザートスプーンとか、ティースプーンとか、大きいスプーンより少し小さいもの。何に使うのかは一応あるけれど、なくても困らないようなもの。でも、かわいいものがちょいちょい現れる。

    小さいものは、なんであんなにかわいいんだろう。

    食器屋さんでも、雑貨屋さんでも、旅先でも、小さいスプーンがあると見てしまう。形が少し変わっていたり、持ち手がかわいかったり、金属の色がよかったりすると、つい気になる。

    スペインでも買った。かわいいと思って。

    でも、帰ってきて使ってみたら、軸とさじの部分が一体ではなかった。たぶん、何かでとめてあったのだと思う。蜜蝋みたいなものなのか、接着剤なのか、よくわからない。

    それを、普通に食洗機に入れた。

    そしたら、何かがゆるんだのか、溶けたのか、さじの部分が回るようになった。正面を向いてくれない。持ち手はまっすぐなのに、さじだけ少し横を向く。

    かわいいと思って買ったのに、実用としては少し頼りない。

    なんとものを見る目のないことよ、と思う。

    でも、そういう失敗をしても、小さいスプーンはまた見てしまう。なくても困らないのに、あると少し嬉しい。デザートを食べる時でも、ヨーグルトを食べる時でも、ちょっとしたものをすくう時でも、大きいスプーンより小さい方がいい時がある。

    小さいスプーンには、少しだけ余分なかわいさがある。

    ちゃんと役に立つものとして買っているつもりなのに、たぶん半分くらいは、かわいいから買っている。そこが危ない。でも、そこが好きなのだと思う。

    またどこかで、ちょっとかわいい小さいスプーンを見つけたら、たぶん手に取ってしまう。

    今度は、さじが回らないかだけは、ちゃんと見ようと思う。

    text — homeflow編集部

  • 雨の日は、世界が少しガラス越しになる。

    homeflow — rain & air

    雨の日は、外に出たくない。

    靴も濡れるし、荷物も増えるし、傘もいる。普通にめんどうだと思っている。

    でも、見るものとしての雨は、少し嫌いじゃない。

    車のフロントガラスに雨粒がついて、景色が少しにじむ。信号の赤や、前の車のライトが、いつもよりぼんやり見える。ワイパーが動くと一瞬だけ景色が戻って、またすぐ雨粒が重なる。

    窓の外も、雨の日は少し遠い。はっきり見えているようで、どこか薄い膜がある感じがする。いつもの道も、いつもの建物も、少しガラス越しになる。

    道路が濡れると、光がにじむ。白線も、車のライトも、店の明かりも、少しだけ下に伸びる。晴れた日より、色が静かに混ざっている。

    本当は、傘をささずに少し歩きたい。雨にそのまま当たるのは、たぶんちょっと気持ちいい。でも、メイクも落ちるし、服も濡れるし、現実にはちゃんと傘をさす。

    水たまりは、今でも少し遊びたい。長ぐつを履いて、子どもと一緒にぐちゃぐちゃしたいとも思う。でも、あとで洗うのが面倒なので、だいたいやめておく。

    雨の日は、めんどうだ。

    でも、景色が少しぼやけて、光がにじんで、世界が一枚うすいガラスの向こう側に行く感じは、悪くない。

    外に出たいわけではないけれど、雨の日の見え方は、少しだけ好きだ。

    text — homeflow編集部

  • 水が見えると、だいぶ満足する。

    homeflow — water & air

    水が見えると、だいぶ満足する。

    海でもいい。川でもいい。湖でもいい。池でもいい。水面が少し見えるだけで、もうけっこう嬉しい。

    目的地が水辺だと、着いた時点で半分くらい満足していることがある。何か特別なことをしなくても、水がそこにあるだけで、空気が少し抜ける。

    広い海はもちろん好きだけど、小さい川でもいい。道路の横を流れている川とか、公園の池とか、遠くにちらっと見える水面とか。それだけで、視界が少しひらく感じがある。

    水は、じっとしているようで少し動いている。光がのったり、風でゆれたり、色が変わったりする。見ているだけで、こちらの呼吸も少しゆるむ。

    水辺なら大満足、というほどでもないけれど、かなり満足する。

    予定の中に水があると、それだけで少し嬉しい。何をするでもなく、ただ水が見える場所にいられるだけで、今日はけっこういいなと思う。

    text — homeflow編集部

  • ダリの家は、全然変じゃなかった。

    homeflow — place & feeling

    ダリのことを、そんなによく知っていたわけではなかった。

    日本で見ていたダリの印象は、少し暗くて、少し怖かった。溶けた時計とか、骨みたいなものとか、なんとなく不穏な感じ。友達が好きだったな、くらいの記憶はあったけれど、自分の中ではまだ遠い人だった。

    最初に行ったのは、ダリの劇場美術館だった。せっかくだから行ってみよう、くらいの気持ちだった。その先にダリの家もあることは知っていた。でも、さらに遠いし、バスの時間も限られている。間に合えば行こうかな、くらいだった。

    それでも、なんとなく気になっていた。美術館を見ながら、このあと行けるかな、という気持ちが少しあった。もう一周してもいいかなと思った頃に、今からバス停へ行けばちょうどいいかもしれないと思って、たいして調べもせずにバスに乗った。予約がいると書いてあったから、ポルリガットに着いてから電話した気がする。今思うと、なかなか適当だ。

    その日だけで、ダリの印象は何度も変わった。

    最初は、少し怖い人だった。劇場美術館に行ったら、怖いというより、おもしろい人になった。ガチャガチャしていて、シュールで、でも暗いだけではない。なんだ、すごく楽しい人なんだ、と思った。

    そのままの印象で、ポルリガットの家へ行った。

    家に入って、また印象が変わった。

    ダリの家は、全然変じゃなかった。少なくとも、私が想像していたような奇抜な家ではなかった。落ち着いた白い家に、芸術家の感性が散りばめられている。その散りばめ方が、ものすごくうまい。なんてセンスのいい家なんだろうと思った。

    その時、ミシュラン人形を見て、すごく好きだと思った。でも同時に、なんでここにこれを置いたんだろう、とも思った。白くて、海が見えて、気持ちのいい家に、急にあの人形がいる。好きだけど、理由はまだよくわからなかった。

    それからずいぶん経って、家族でもう一度行った。

    その時はレンタカーで、バルセロナから向かった。街の景色が少しずつ変わって、だんだん田舎になって、海が見えて、オリーブの木やブドウ畑が出てくる。地中海っぽい景色の中を走って、また山の方へ上がっていく。その道も、やっぱりよかった。

    ダリの家美術館に着くと、白い家と海がある。卵もある。外から見ただけでも、なんてところに来たんだ、と思う。

    中に入ると、明るくて、落ち着いていて、風が通る。窓から見える景色も、たぶんちゃんと考えられている。海の見え方、光の入り方、白い壁。まず、家そのものが気持ちいい。

    ベースは、全然ふざけていない。

    そこに、卵やミシュラン人形みたいなものがある。普通に考えたら、少し不思議なものだと思う。でも、それが浮いていない。白くて、海が見えて、風が通って、景色まで気持ちいい家に、茶目っ気がうまく足されている。

    もう一度来た時、少しわかった気がした。

    これは、ふざけたいから置いているだけじゃない。上質な空間を、上質なまま終わらせないためのズレなんだと思った。きれいな空間を、きれいなまま終わらせない。落ち着いたものの中に、自分の感覚をちゃんと混ぜている。

    その感じが、すごく好きだった。

    私はたぶん、ただ変なものが好きなのではない。上質なものの中に、その人の好きなズレが混ざっているものが好きなのだと思う。落ち着いているのに、澄ましすぎていないもの。きれいなのに、ちゃんと引っかかるところがあるもの。抜けがあるのに、意志もあるもの。

    家族も、その家を気に入っていた。娘は、その旅行の中で一番好きだった場所だと言った。それがすごく嬉しかった。自分だけが勝手に好きな場所ではなかったんだと思った。

    誰でも好きになるような気持ちよさがあって、その中に、ちゃんとズレがある。

    いつかこんな家に住もうね、と言った。半分本気で、半分夢みたいに。

    白くて、海が見えて、風が通って、気持ちがよくて、でもどこかにちゃんと茶目っ気がある家。落ち着いたものの中に、自分の好きなズレがしっかり混ざっている家。

    ダリの家は、全然変じゃなかった。

    でも、ちゃんとズレていた。

    text — homeflow編集部

  • ただいてもいい場所。

    homeflow — place & air

    お店では、何かを探している。

    棚を見る。奥を見る。手に取る。なければ出る。そういう楽しさもあるけれど、何も探したくない時もある。

    美術館で、作品を見る前に椅子を見てしまうことがある。あ、ここでぼーっとしたい、と思う。光が入っていて、床が静かで、壁と壁の間に少し余白がある。作品を見るために来たはずなのに、座っているだけでもいいような場所がある。

    床を見て、ここを素足で歩いたら気持ちいいだろうなと思うこともある。今はさすがにしない。でも、木の床や、ひんやりした石の床を見ると、足の裏が先に反応する感じがある。

    学生の頃は、その感覚に素直すぎて、本当に素足になってしまうことがあった。友達には普通に怒られていた。今思うと、そりゃそうだと思う。場所には場所の決まりがある。でもあの時の自分は、たぶん床を足の裏で感じたかったのだと思う。

    お寺で靴を脱ぐと、少し体の入り方が変わる。畳や板の間に足が触れて、廊下の奥に庭の影があって、空気が静かに流れている。何かをしなくても、そこにいるだけでいい感じがある。

    茶室は、もう少し凛としている。だらっとほどける場所ではない。小さな空間の中に、光や畳や道具の気配があって、こちらの呼吸も少し整う。緊張しすぎるのとは違うけれど、背筋が少し伸びる。

    森の中では、高い木が上にあって、木陰が足元に落ちている。風が抜けて、緑がたくさんあるのに、目が疲れない。色とりどりなのに、うるさくない。木に守られている感じがして、体が少しほどける。

    水が見えると、さらにうれしい。川でも、池でも、海でも。水辺があると、空気が抜ける感じがある。海は大好きで、広くて、音があって、風があって、見ているだけでだいぶ満足する。

    何かを買わなくてもいい。見つけなくてもいい。うまく過ごさなくてもいい。ぼーっとしていてもいい。

    そういう場所があるだけで、少し助かる。

    ただいてもいい場所は、体が少し先に知っているのかもしれない。

    text — homeflow編集部

  • いいものが、紛れている店。

    homeflow — shop & air

    好きなお店は、入る前から少し気配がある。

    外から見て、なんとなく入ってみる。入ったら一応ぐるっと見る。何もなければ出る。それだけのことなんだけど、「ここには何かありそう」と感じる店と、そうでない店がある。一瞬で決めているようで、実は少しずつ判断している。

    探すものによって、入りたい店の空気は変わる。

    会社用の服を買うなら、きれいに整った店がいい。サイズや素材や形がちゃんと見やすくて、安心して選べる場所。そういう時は、整っていることがありがたい。

    でも、家のものを探す時は、少し混ざっている場所の方が楽しいことがある。古いもの、変なかたちのもの、少し安そうなもの、でもなんかいいもの。そういうものがガラクタっぽい棚の中に紛れていそうな店に入ると、ウッキウキする。宝探しみたいに、奥まで見たくなる。

    私服を探す時も、少し可愛いものが混ざっている店が好きだったりする。変わった形や柄、一見ちょっと変わっているけど、着てみたら可愛いかもしれないもの。普通の棚にすっと並んでいるより、少しだけ浮いているけど、ちゃんと可愛いもの。そういうものがあると、見ていて楽しくなる。

    雑多なら何でもいいわけでもないし、整っていれば重いわけでもない。大事なのは、まだ何かありそうなこと。決まりすぎていないこと。自分が見つけられる余白があること。

    棚の中に、急に目が止まるものがあると、それだけで少し楽しい。何も買わなくても、ちょっと見てよかったなと思う。

    text — homeflow編集部

  • カステラの端っこが、家にたくさんあった。

    homeflow — memory & kitchen

    母は昔から、家でずっと何かをしていた。

    キッチンにいることが多くて、その時々でハマっているものが違った。カステラの時期、パンの時期、ケーキの時期、クッキーの時期。裁縫にのめり込んでいる時期もあったし、本を読みふけっていることもあった。

    母が何かしている横で、子どもたちも何かしていた。パンをこねたり、粘土をしたり、自分で本を書いたり、庭でドロケーキを作ったり。家の中に、何か作っていていい空気があった。今思えば、そういう場所だった。

    カステラにハマっていた頃は、家に端っこがたくさんあった。

    焼いたカステラの両端の部分は、おやつに食べていいよ、と言われて、最初はおいしい。でも飽きるくらいあった。それくらい、母はよく焼いていた。

    友達が遊びに来ると、みんなよく食べた。おいしい、もっとちょうだい、と。いつでもこんなカステラ食べられていいな、と言われて、端っこに飽きているくせに、ちょっと嬉しかった。

    あとで聞いたら、法事のお土産のようなものに使うために焼いていたらしい。小さい子どもが何人もいる時期に、よくやるよね、と今なら思う。私なら多分、途中で寝てる。

    たまに食べると、めちゃくちゃおいしい。今でも無性に食べたくなることがある。母は今でも焼いてくれて、うちの子どもたちも大好きで、朝ごはんになることがある。カステラがあると、安心する。子供たちが、喜んで完食してくれるから。

    自分もレシピを教わって、時々焼くようになった。誰かに渡したり、お礼に使ったりすると、本当に喜んでくれる。自分がすごいというより、母から来たこのカステラが人のところにちゃんと届く感じがして、それがありがたいと思う。

    端っこに飽きていたくせに、今でもたまに食べたくなる。

    母から来たカステラは、今もたまに、うちの朝ごはんになったり、誰かへのお礼になったりする。そういうところも、なんか好きだ。

    text — homeflow編集部

  • 冬の台所は、湯気が上がる。

    homeflow — kitchen & season

    夏の台所は、とにかく暑い。

    そうめんを茹でる鍋の湯気が、もう顔に当たる。
    エアコンをつけていても、コンロの前だけは別の空気だ。

    夏の夕食は、そうめんや冷やし中華に助けられる日がある。

    下味冷凍の肉を焼いたり、冷凍餃子を焼いたりもするけれど、麺の日は、タンパク質はどこに足すか。
    野菜は、きのこは、となる。

    栄養は別で考えなきゃなーと思う。思うけれど、そこまでたどり着かない日もある。

    冬は、鍋がある。鍋は、神メニューだと思っている。肉も、魚も、豆腐も、白菜も、しめじも、えのきも、全部ひとつの鍋に入れられる。

    夏に「別で準備しなきゃ」と思っていたものが、ぜんぶそこに入る。
    包丁で切って、ぽんぽん入れて、火にかけていれば、なんとかなる。

    そりゃ登場頻度が多くなるよね、という話で、うちでもよく出てくる。それでも、そこまで飽きない。
    鍋の味が違うとか、具が少し変わるだけで、別の料理みたいになる。

    冬の台所でもうひとつ。炊飯器のご飯の流れが見えやすくなることだ。

    夏は、炊いたご飯をすぐ冷蔵庫に入れる。
    だから冷蔵庫の中にご飯があるのかどうか、ぱっと見でわからない。

    夫がご飯を炊いてくれていて、ありがたいんだけど、あ、ご飯あるんよ、となることがある。責めているわけじゃない。
    でも、冷蔵庫に入れたご飯は、存在感が薄い。

    冬は、炊飯器にそのままご飯が残っている。

    翌日にはだいたいなくなって、なくなったら次を炊く。
    その流れが自然にできている。

    炊飯器の中を見れば、ご飯の残量がわかる。
    たったそれだけのことが、台所を少し見通しやすくしてくれる。

    湯気が上がっている台所は、少し落ち着いて見える。鍋の湯気でも、炊飯器の湯気でも、お湯を沸かしているだけでも。

    白い煙みたいなものが台所に漂っていると、なんかここは動いているな、という感じがある。

    夏のむわっとした台所とは違う、あたたかさ。

    料理をするようになってから、冬の台所が少し好きになった。

    今夜も鍋に何でも入れて、炊飯器のご飯と食べる。

    そりゃ、冬の台所が少し好きになる。

    text — homeflow編集部

  • 小さいガーゼが、家にある。

    homeflow — living & texture

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    15センチ四方くらいの、小さいガーゼハンカチを家に置いている。

    ご飯の時にお絞り代わりに使ったり、少し何かを拭く時に使ったり。朝、出発前に子どもの口の周りが少し汚れている時は、濡らしてさっと拭く。化粧品のコットン代わりに使うこともある。

    特別に意識しているわけではないけれど、気づくと手に取っている。なんとなく家にあって、なんとなくみんな使う。そういう布だ。

    ティッシュでいい場面もある。でも、ガーゼの方が気持ちいい時がある。うまく説明できないけれど、何かを拭く時に、ティッシュよりガーゼの方がしっくりくることがある。

    手触りなのか、厚みなのか、よくわからないけれど、なんかそういう感じがある。

    洗濯機で洗うと、シミも残らず綺麗になる。白い小さい布が、また普通に使えるようになる。それだけのことなんだけど、なんか好きだ。

    うちは、なんとなくガーゼがある。

    すごく使いやすいのだ。

    text — homeflow編集部