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  • 母の味噌づくり

    homeflow — living & memory

    母の母は、普通に味噌を作っていた。 涼しいどこかに樽があって、 子どもの頃の母は「取ってきて」と言われて、 木べらで掬っていたらしい。 それだけの話で、特別なことではなかった。

    でも母自身は、ずっと作っていなかった。 スーパーに味噌はあったし、 働きながら「作る」を全部抱えるような時代でもなかった。 忙しかったんだと思う。それ以上はわからない。

    だから、最近始めたと聞いたとき、少し意外だった。 しかも麹から作る、という。

    春になると、米を蒸す。 麹は和室に置いて、布をかけて数日待つ。 台所じゃなくて和室、というのが、 なんか普通の家っぽくていい。

    麹が起きるまで、数日。
    和室の空気が少し変わる。
    甘いような匂いがして、
    母が時々、布をめくる。

    温度を確認して、匂いを嗅いで、また布を戻す。 数字じゃなく、手と鼻で見ている。

    仕込み終わった味噌は、階段下の収納に入れる。 発酵アトリエみたいな場所ではなく、 荷物とかと一緒に、ひっそり置いてある。 半年くらいかけて、そこで静かにできていく。

    祖母がやっていたことを、母が今になって始めた。 なんか好きだな、と思っている。 うまく言えないけれど、そういう感じ。

    text — homeflow編集部

  • 同じ空気が好きなのに、整え方が違う。

    夜、洗濯物まで全部片付いて、 静かになったリビングを見ると、かなり落ち着く。

    人が来ると、 「物がないね」「綺麗にしてるね」と言われることが多い。

    夫も、綺麗な空間が好きだと思う。 私が外から帰った時、 夫がかなり綺麗に片付けてくれていることがある。 「その方が気持ちいいだろうと思って」 みたいな感じで。

    だから、根本的に目指してる空気は、 たぶんかなり近い。


    でも、収納の考え方がかなり違う。

    私は、収納を「構造」で見てる気がする。

    ここに何を置いて、 どう分類して、 どう流れるか。

    誰でも辿れる状態にしておきたい。

    最初は、クリアファイルに中身を書いて、 場所を共有しようとしてた。

    定位置が決まったものは、結構回る。 でも、 衣替え途中の服とか、 子どもの作品とか、 行き先がまだ決まってないものになると、 急に難しくなる。

    「これはここ」を決めてからじゃないと、 動けないタイプなんだと思う、私は。


    夫は、たぶん収納を「空間」で見てる。

    空いてるからここに入れる。 自分では把握してる。 たぶん、そういう感じ。

    だから、片付いてはいる。

    でも私からすると、 「なんでこれをここに入れようと思ったん?」 みたいなことが、結構起きる(笑)

    夫の思考を辿ろうとする。 これ、どこにしまいそうかな、って。

    でも、大体見つからない。 別のものを探してる時に、突然出てきたりする。

    ぐちゃぐちゃというわけではない。 聞けば出てくることも多いし、 夫なりの地図は、ちゃんとあるんだと思う。

    ただ、その地図が共有されてないと、 私はかなり不安になる。


    私は、「どこに何があるかわかる」と安心する。

    夫は、「視界が整っている」と安心するのかもしれない。

    どちらが正しい、という話でもない。

    キャンプ用品は夫管理だ。 庭の倉庫にかなり綺麗に収まっていて、 私はほとんど把握していない。 出し入れも全部やってくれるから、 そこはもう任せている。

    私も、完璧に管理できるタイプではない。


    違う認知同士で、 なんとか同じ空気を作ってる。

    たぶん、そういうことなんだと思う。

  • 昔住んでた社宅が、今でも好きだったと思う。


    団地っぽい古い社宅だった。

    木の建具とか、ふすまとか、押し入れとか、 そういうものが普通に残ってた。

    周りの人は「古くて嫌」って言ってた。 私は、整えたらめちゃ整うのに、と思ってた。


    キッチンダイニングと和室のふすまを外して、 広く使ってた。

    和室にソファとちゃぶ台を置いて、 そこで暮らしてた。

    押し入れには、 生活用品も、子どもの服も、掃除機も入って、 ちゃんと生活が収まってた。

    あの収まり方、なんか好きだったんよね。


    別の古いアパートも好きだった。

    床がちゃんと木だったり、 和室を繋げて広く使えたり。

    オープンラックでアイランドキッチンっぽくしてたりもした。

    今思うと、 あの空間、結構自由だったと思う。


    ただ古いものが好き、というのとは 少し違う気もしてる。

    たぶん私は、 空間の骨格とか、 素材感とか、 暮らしとの噛み合い方みたいなものに、 惹かれてたんだと思う。

    押し入れとか、 木の建具とか、 本物の床材とか。

    そういうものを見ると、 今でもなんかほっとする。

    なんでだろう、とはまだうまく言えない。


    今の家は、校区と立地優先で買った中古住宅だ。

    売る前提のリフォーム感が、かなり苦しかった。

    木目プリントの巾木とか建具とか、 量産的な感じがどうしても好きになれなくて、 臨月でDIYしてた。

    巾木を塗って、 建具を塗って、 母と一緒に収納を作ったりしてた。

    臨月で(笑)


    「今の家が嫌」という話じゃない。

    あの社宅に戻りたいわけでも、たぶんない。 子どもが小さい頃はあの広さで成立してたけど、 今は物が増えすぎて、また別の構造が必要だと思う。

    ただ、 押し入れに生活が収まってた感じとか、 ふすまを外したら広くなった感じとか、 木の床を歩く感じとか、

    そういうものを、 今の家の中でも、 なんとか探してる気がする。

  • 音って、その人の暮らしが出る気がする。


    うちは夫が音楽好きで、 いつも何か流れている。

    朝はアレクサがニュースを読んでいる。 夫がいる日は、そのあとも音楽が続く。

    私は音楽も好きだけど、 ずっと流れてなくても平気なんよね。

    なんでだろう、と思ったら、 たぶん実家のせいだと思う。

    田舎だったから、 キジが鳴いてたり、 夏は蝉、秋は鈴虫、 朝は鳥の声が聞こえるような場所だった。

    静かだから音楽流したい、みたいな感覚が、 もともとあんまりないのかもしれない。

    まぁ、家の中は普通に騒がしかったけど(笑)


    今は大きい道路沿いに住んでいる。

    緊急車両はめちゃくちゃ通るし、 隣はコンビニだし、 夜騒いでる人もいる。

    でも、意外と爆睡できる(笑)

    子どもが3人いるから、 家の中もずっとうるさい。 そこに私の怒鳴り声まで響くから、 ご近所さん大丈夫かなと思う時がある(笑)


    でも、夜中に好きな時間がある。

    家の中が少し静かになって、 ちょっとひんやりしてる。

    その中で、洗濯機と食洗機だけが グォーンって動いてる感じ。

    なんか嫌いじゃないんよね。

    何かが終わった感じと、 何かが回ってる感じが、 同時にある感じ、とでも言えばいいのか。


    美術館とか図書館も好きだ。

    シーンとしてるけど、息苦しくない。 人の気配はあるのに、静かな場所。

    あの空気、なんか好きなんよね。


    無音が好き、というのとも少し違う気がしてる。

    キジの声。 蝉。 洗濯機のグォーン。 美術館の静けさ。

    全部違うけど、 なんか同じ感じがする。

    呼吸できる音の空間、みたいなものが、 自分には合ってるのかもしれない。

    まだうまく言えないけど。

  • 好きな空気のまま、ちゃんと暮らしたい。


    古い水屋箪笥がほしい、とずっと思っている。

    食器だけじゃなくて、 パントリーみたいにも使えるやつ。 扉を閉めると全部おさまってて、 開けると好きなものが並んでる、みたいな。

    まだ、見つかっていない。


    だから今は、籠を並べている。

    オープンラックに、好きな籠を置いて、 その中をパントリーみたいに使っている。

    中身は見えない。 でも、籠はなんか好き。 それだけで、なんとなくいい感じになる気がしている。

    好きな食器は、見える場所に出している。 しまいたいものと、見せたいものが、 自分の中で分かれてきた気がする。 なんでそうなるのかは、まだうまく言えない。


    子どもは、面倒なことは絶対しない(笑)

    学校のものを部屋にしまいに行く、なんて無理だとわかった。 だから、リビングで出し入れできるようにした。

    母に手伝ってもらって、木材で大きな収納をDIYした。 その上にテレビを置いている。

    リビング横の和室の床の間も、収納として使っている。 服をそこにしまうようにしたら、 洗濯物をたたんでそのまま片付けられるようになった。 それだけで、なんかラクになった。


    でも、ただ片付けばいいとは思っていない。

    ガラス。 木。 籠。 使い込まれたもの。 光が抜ける感じ。

    なんかこの空気が好き、というものが、 生活の中にあってほしい。

    全部うまくいってるわけじゃない。 まだ試行錯誤している。

    でも、籠を並べたラックは、 最近なんとなく好きな感じになってきた気がしている。

  • 生活感って、なんなんだろう。


    生活感のある家が好き、というタイプではない。

    牛乳が出しっぱなしだったり、 カバンが動線を塞いでいたり、 脱いだ服がそのままだったり。

    そういうのは、普通にノイズになる。 空気が詰まる感じがして、落ち着かない。

    整っている方が好きだし、 余白のある部屋も好きだ。


    でも、モデルルームにも惹かれない

    綺麗な空間は好き。 でも、何も人の気配がない空間には、あまり惹かれない。

    自分がそこに住むなら、 たぶん何かを混ぜたくなる。

    ガラスの瓶とか。 少し古いものとか。 子どもが作った変な人形とか。

    そういうものが少し入ると、 急に空気が生き始める感じがする。


    好きな風景がある

    子どもがおもちゃを広げて、楽しそうに遊んでいる空間は、 そんなに嫌じゃない。

    磨かれた鍋が、棚に並んでいる。 ちゃんと使われているキッチン。 誰かが料理した気配が残っている台所。

    そういうものを見ると、 なんだかほっとする。


    その違いって、なんだろう

    牛乳が出しっぱなしなのも、 子どもがおもちゃを広げているのも、 どちらも「生活感」と呼べる気がする。

    でも、私の感じ方は全然違う。

    しばらく考えていたら、 たぶん私が惹かれているのは、 「生活感」じゃなくて、 人が生きている気配、 みたいなものなのかもしれないと思った。

    誰かの意思が、そこにある感じ。 時間が、そこに染みている感じ。


    でも、好き嫌いはちゃんとある

    人の気配があれば何でもいい、 というわけでもない。

    好きな気配と、苦手な気配が、 自分の中にちゃんとある。

    それでいい気がしてる。

    うちはどんな気配が好きで、 どんな気配が苦手なんだろう。

    そう観察し始めると、 部屋の整え方が、少し変わってくる気がする。

  • 好きなものが、混ざっている。

    キッチンの棚の上に、いろんなものが置いてある。

    花瓶。ガラスの容器。梅干しを漬けた瓶。リサ・ラーソンの花瓶。トルコブルーの壺みたいな鍋。唐辛子の束みたいなドライフラワー。子どもが作った人形。子どもの抜けた歯を入れた、小さな入れ物。

    統一感は、ない。 テーマも、特にない。 でも、朝ここを見るのが好きだ。


    なんで好きなんだろう、と思う時がある。

    ガラスが多いからか。 陽が入ってくる時間に、光がすっと抜けていく感じは、たしかにいい。 でも、それだけでもない気がして、ちゃんと考えたことはなかった。


    子どもの絵が、時々混ざる。

    アートとして完成されてるかといったら、そうじゃない。 でも、そこに置いている。

    見るたびに思い出す。 「これ好きだよ」って言った時の、照れくさそうな顔。 その時誰かが何か言って、笑った感じ。 夕方の、あの空気。

    絵というより、その時間ごと置いてある感じがする。


    綺麗に整った空間も、普通に好きだ。 余白があって、好きな家具だけが置かれていて、光が静かに落ちる部屋を見ると、「素敵だな」と思う。

    でも、自分がそこに住むなら、たぶん何かを混ぜたくなる。 ガラスの瓶とか、少し古いものとか、子どもが作った変な人形とか。 そういうものが少し入ると、急に自分の空気になる感じがする。


    梅干しの瓶が置いてあって、 リサ・ラーソンの花瓶が置いてあって、 子どもの歯が小さな入れ物に入っていて、 トルコブルーの鍋が鎮座している。

    雑多といえば雑多だ。 でも、光は通っている。

    なんか、好きだ。 うまく言えないけど、好きな空気がある。


    部屋全体も、木や天然素材が多い。 気づいたらそうなっていた。 何かを選ぶとき、素材に手が伸びていた、ということだと思う。

    ホコリはちゃんと取りたい。でも、棚の配置を変えたいとは思わない。 このままでいい、という感じがずっとある。


    なんでだろうな、とまだちゃんとわかっていない。

    朝、陽が入ってきて、ガラス越しに光が落ちる。 子どもがどこかで何か言っている。 梅干しの瓶が、静かにそこにある。

    暮らしが、続いている感じがする。

  • 結局、空気に惹かれてる。

    Essay — 暮らしの観察

    市場が好きだ。ホテルの朝が好きだ。少し古いものが好きで、光の入り方が好きで、家の流れを整えたい。 ずっとそう書いてきた。でも最近、それって全部おなじことを言ってたのかもしれないと思っている。


    市場に入ると、ソワソワする。

    いい意味で、だと思う。たぶん。 香辛料の匂い、知らない布の色、聞き取れない売り声、ぶつかりそうな人の流れ。 少し怖い。騙されるかもしれない。値段もよくわからない。

    でも、足が止まらない。

    整ったショッピングモールより、ずっと疲れるのに、なぜか市場の方が好きだ。 そのギャップが、長い間うまく説明できなかった。

    雑多だから? でもそれだけじゃない。 人がいるから? モールにも人はいる。

    ある時、気づいた気がした。 市場には、生っぽさがある。

    キラキラしたライト。ぶら下がった布。山積みのスパイス。なんだかよくわからないお菓子。 整ったセレクトショップなら絶対置かないような、微妙な雑貨も混じってる。

    でも、そのガラクタみたいな雑多さの中に、突然「え、これめちゃいいじゃん」があったりする。 その瞬間が、たまらなく好きだ。

    完成されたものを差し出されるより、自分で掘り当てた感じ。 宝探しみたいな、あのソワソワ。

    市場に惹かれてたのは、落ち着くからじゃなかった。 熱気とか、カオスとか、人間っぽさとか、そういうものに、ずっと惹かれていた。


    ホテルの朝は、また違う。

    豪華なホテルじゃなくていい。バックパッカー時代の、薄い壁のゲストハウスでも、子連れで泊まったビジネスホテルでも、あの朝の感覚が好きだった。

    静かで、少し白くて、今日が始まる前の時間。

    市場のソワソワとは正反対に見えるけれど、やっぱり惹かれる。 何かがほどける感じ。鎧を脱いでいい感じ。

    整えた夜の我が家にも、同じものがある。 全部こなした夜じゃなくていい。 冷凍うどんでも、子どもが笑っていた夜は、あとから心に残る。 そういう夜の空気を、ずっと作りたいと思ってきた。


    二つは、全然違う空気だと思っていた。 市場の熱気と、ホテルの朝の静けさ。 でも、どちらにも惹かれる自分がいる。

    なんでだろう、としばらく考えていた。

    共通してないものを探した方が早かった。 整いすぎた場所。 誰の意思も入っていない空間。 無菌な美しさ。

    そういうところには、惹かれない。 綺麗なのに、息が浅くなる。

    市場には、生きている人間の体温がある。 ホテルの朝には、誰かが丁寧に作った静けさがある。 どちらも、人格がある。人の気配がある。

    無菌じゃない、ということなのかもしれない。


    白が好きで、光が好きで、少しズレたものが好きだ、とも書いた。

    均一な白より、光を含んだ白が好き。 まっすぐな光より、ゆらぐ光が好き。 整いすぎたものより、誰かの意思がほんの少し入ったものに惹かれる。

    それも同じことだと気づいた。

    止まった白より、時間が流れている白。 動かない光より、揺らいでいる光。 完成された美しさより、誰かの人格が染み込んでいるもの。

    空気がある、ということなのだと思う。


    空気って、なんだろう。 目に見えないし、触れない。計れない。

    でも、たしかにある。 入った瞬間に感じるもの。その場を離れても、しばらく体の中に残るもの。 忘れたと思っていたのに、似た場所に入ったとき、急によみがえってくるもの。

    市場のソワソワも、ホテルの朝のほどける感じも、整えた夜の家の安心感も、全部それだ。 空間の種類は違っても、私がそこに感じていたものは、おそらく同じだった。


    homeflowって、結局なにをやっているんだろう、と時々思う。

    家事の効率化? それだけじゃない気がして。 暮らしの整理? もう少し手前にあるような気がして。

    空気を編集することを、やっているのかもしれない。

    詰まっているところを、そっとほぐすこと。 帰ってきた人が、鎧を脱げる場所をつくること。 冷凍うどんの夜でも、今日の空気を壊さないまま終わらせること。

    整った家を目指しているわけじゃない。 無菌な暮らしを作りたいわけでもない。

    人が生きている空気を、ちゃんと家の中にも残したい。 そういうことだったのかもしれない。


    市場で立ち止まったあの瞬間の熱気が、まだどこかに残っている。 ホテルの朝の、あの静けさも。 冷凍うどんの夜に、子どもが笑っていた空気も。

    全部違う。でも全部、人が生きていた。

    空気って、消えそうで消えない。 記憶の中で、ちゃんと生きている。

    だから今日の暮らしの空気を、少しだけ大事にしたいと思っている。 完璧に整えたいわけじゃない。 ただ、なんとなく通り過ぎるよりは、今日の空気を、少しだけ意識して編んでいきたい。

  • ズレじゃなくて、人格を入れること。


    昔から、少しズレたものに惹かれてきた。

    でも、人と違うことがしたいわけじゃない。 奇抜にしたいわけでもない。


    綺麗なものは、好きだ

    白い服も好き。 整った空間も好き。 上質なホテルも好き。

    綺麗なものを見ると、素直に「いいな」と思う。

    でも、綺麗すぎるものを見ると、 時々、少し息苦しくなることがある。

    なんか、楽しくない。

    なんでだろう、とずっと思っていた。


    白いワンピースとパンツ

    大学の頃、真っ白のワンピースをよく着ていた。 そのワンピース自体は、本当に好きだった。 襟とか、ボタンとか、細かいディテールも可愛かった。

    でも、ワンピースだけだと、 少し「整いすぎる」感じがした。

    だから、下にパンツを入れた。

    その少しのズレが入ると、 急に自分の空気になる感じがした。

    当時は、なんとなくそうしていただけだった。 でも最近、あの感覚の意味が、少しわかってきた気がしている。


    誰の意思も入っていない綺麗さ

    最大公約数の綺麗さ、というものがある。

    誰が見ても綺麗。 誰が見ても正解。 ちゃんとしている。

    でも、それって、誰の意思も入っていない綺麗さなのかもしれない。

    そういうものを見ると、なんか楽しくない。少し居心地が悪くなる感じがした。

    でも、そこに少しだけ、 誰かの意思や、熱や、人の気配が入ると、 急に面白くなる。

    好き嫌いはあれど、 「ああ、そういうものか」と思える。 そこに、誰かがいる感じがするから。


    物語がある古さ

    市場が好きなのも、たぶん同じだ。

    整ってない。雑多。熱気がある。人が生きてる感じがある。 誰かの意思が、そこにちゃんとある。

    古いものへの惹かれ方も、同じかもしれない。

    ただ古くなったものは、好きじゃない。

    惹かれるのは、 手入れされてきた感じ。 大事にされてきた気配。 素材が持つ強さで今もそこにあるもの。

    そこには、時間と、誰かの意思が染みている。 だから、楽しい。


    ズレじゃなくて、人格を入れること

    最近、気づいたことがある。

    私は、「ズレ」を入れたいんじゃなくて、 そこに、誰かの意思や人格が入っているものに惹かれるのかもしれない。

    白いワンピースにパンツを入れるみたいに。 整いすぎたものに、少し自分の意思を入れる。

    それが、自分が心地よくなる方法なんだと思う。

  • 光が好き。

    光が好き。


    昔から、光が好きだ。

    でも、ただ明るい光が好きなわけではない。 たぶん私は、”空気が見える光”に惹かれている。


    何かを通った光が好き

    自然光が好きだ。 特に、何かを通った光が好きだ。

    昔のゆらゆらしたガラスを通る、少し柔らかい光。 障子を通った、白くぼやける光。 ガラス越しに差し込む、少し屈折した光。

    空気ごと光っている感じ、とでも言えばいいのか。 そういう光に、ずっと惹かれてきた。


    反射する光

    海に反射して、キラキラ揺れる光。 雨上がりの森で、雫に反射する光。 ガラスとガラスが並んでいるだけで、光が綺麗に見える時もある。

    おじいちゃんは百姓だった。 日焼けした肌に、光がツヤっと反射していた。 そういう光も、好きだった。


    旅先の朝の光

    お休みの日や、旅行先の朝の光も好きだ。

    ホテルの白いシーツに落ちる朝日。 少し静かな街。 まだ人が少ない空気。

    その時間だけ、世界が少し透明になる感じがする。


    揺らぎのある光

    真っ暗な夜に、 昔ながらのオレンジ色っぽい灯りが、 一箇所をぽつんと照らしている感じも好きだ。

    昔見たガス灯の光も綺麗だった。 ろうそくの、少し揺れる光も好き。 キャンプの焚き火も、ずっと見ていられる。

    たぶん私は、均一で強い光より、 揺らぎのある光が好きなんだと思う。


    夕方の空

    夕方の空も好きだ。

    オレンジ。 ピンク。 少し紫がかった色。

    全部が混ざり合って、なんとも言えない光になる。 雨上がりの澄んだ空気の中で見る夕空は、特に好きだ。


    光で変わる空気

    今思うと、 私はずっと、”光そのもの”というより、 光で変わる空気に、惹かれてきたのかもしれない。

    均一じゃない光。 揺らぐ光。 何かを通った光。 反射した光。

    そういう光の中にいると、 空気ごと、少し変わる感じがする。

    その感じが、好きなんだと思う。