ブログ

  • なんか、籠に入れたくなる。

    homeflow — space & air

    気づいたら、家中に籠がある。 ソファ下の籠、おもちゃの籠、保育園準備の籠、 洗剤ストックの籠、パントリー代わりの籠、子ども服の籠。 数えたことはないけど、たぶんかなりある。 なんでこんなに籠なんだろう、と思うことがある。

    子どもの頃から、おばあちゃんちの籠が好きだった。 何に使うわけでもないのに、なんか気になる。 かわいいとか、便利とか、そういう前に、 ただなんか、好きだった。

    既製品の”ザ・食器収納”みたいな家具が、昔から苦手だった。 食器棚を置くくらいなら、白いオープンラックがいい。 そこへ籠を置けば十分じゃないか、と思っていた。 最初は「いつでも入れ替えられる仮収納」のつもりだった。 でも、なんかしっくりきてしまった。 引っ越しでも結局持っていく。 気づけば、オープンラックと籠のセットが ずっと家にある。

    籠が好きな理由を考えると、 「収納できる」より先に、 視界が少し落ち着く、という感覚がある気がする。 ラベルや色や途中のものを、少しだけ逃がしたい。 完全に閉じたいわけではない。 扉の向こうへ消したいわけでもない。 オープンラックに籠が置いてある、くらいの”抜け”が、 ちょうどいい。

    漂流しているものを、一旦戻せる場所。 空気を少し休ませる場所。 収納というより、たぶんそういうものとして 使っているんだと思う。

    完成された収納というより、 生活と一緒に動いている感じがする。 中身は変わっても、籠はずっとそこにある。 なんか好きなんよね、という感じで、 結局ずっと、籠へ戻ってくる。

    text — homeflow編集部

  • キッチンから、ずっと生活の音がしていた。

    homeflow — memory & living

    実家は、静かな家ではなかった。 隣に保育園があって、近くに小学校もあって、 昼は子どもの声がかなり普通に聞こえた。 週末はグラウンドの野球部の声も届いた。 静かな田舎というより、人が暮らしている音が 外からも中からも混ざっている家だった。

    季節の音もあった。 夏の朝はヒグラシで、春先のウグイスは毎年どこか下手で、 秋はキリギリスと鈴虫が重なって、 朝方はキジがうるさかった。 冬は庭のミカンを巡って鳥が喧嘩していた。 父と母の喧嘩も、普通にあった。 全部が心地いい音だったわけじゃない。 でも、家のどこかで、ずっと何かが動いていた。

    普段は鳥の声に起こされる家なのに、学生の頃、週末に昼まで寝ていると、 2階ホールのミシンの音がしてくる。 「起きなさい」ではなく、母が普通に生活を始めている。 しびれを切らして、ミシンを踏み始めた感じ。 掃除機も昔から少し苦手で、 始まった瞬間に「あ、起きなきゃ」となる感じがあった。 掃除機の音は母も少し不機嫌だったんだと思う。いつもの生活が流れ始めている音だった。

    キッチンには、いつも母がいた。 鍋の音、水の音、包丁の音、冷蔵庫の開く音。 昨日の魚のアラで出汁をとって、 出汁がらを味噌と和えて、 骨付き肉からスープをとる。 ずっと何かを仕込んでいる感じで、 台所の音が、家の底に流れていた。 音と匂いが混ざって、 それが”暮らしている空気”になっていた。

    今は子どもたちの声が全部かき消している。 外の音も台所の音も、たぶん聞こえていない。 それでも、生活の音がどこかで流れている家にいると、 安心する感覚が自分にはある。 止まっていない感じ、というか。 家が生きている感じ、というか。

    実家で育った時間が、 そういう感覚のルーツになっているのかもしれない。 静けさより、流れている生活の方を、 ずっと家として覚えている。

    text — homeflow編集部

  • 居場所のないものが、少しずつ空気を濁らせる。

    homeflow — air & everyday

    別に散らかっているわけじゃない。 でも、なんか家がスッとしていない日がある。 息苦しいというか、空気が抜けない感じ。 何が原因かと思うと、はっきりしない。

    よく見ると、ストックが入り切らなくて、 醤油やみりんのラベルが棚から溢れてきている。 本当は籠の後ろに収めたい。 存在が嫌なわけじゃない。 必要な時にはちゃんと出せる場所へ、 今は空気を休ませたい、という感覚に近い。 でも、戻す場所がない。 だから視界に漂い続ける。 その「ここじゃない感じ」が積み重なると、 空気がじわじわ濁っていく。

    子どものキャラ物や色が多いこと自体は、そこまで気にならない。 扉の中や籠の後ろへ戻れるものは、なんとなく成立している。 問題は、戻る場所がなくて、視界に漂流し続けるものだ。 それが増えてくると、息苦しくなる。 「隠したい」は、存在を消したいわけではなくて、 空気を整えたい、ということだと思う。 収納って、物を入れる場所というより、 空気を戻す場所なのかもしれない。

    家そのものを完璧に好きなわけではない。 でも、嫌な場所を少しずつ減らしながら、ここまで整えてきた。 セルフリフォームも、その延長だと思う。 「好き」を増やすというより、「嫌い」を減らして、 空気の戻る場所を作ってきた感覚。 そうやって守ってきた空気が、 居場所のないものが増えると、少しずつ侵食される。

    季節の変わり目も同じで、 戻せない服がクローゼットに詰まって、 完了しきれない季節が部屋に漂っている。 視界が重くなる。空気が抜けない。 そういう日があるんだと、 少し輪郭が見えた気がした。

    text — homeflow編集部

  • 固定された完成形が、少し窮屈だった。

    homeflow — edit & living

    ミールキットが便利なのはわかるし、 高い理由もわかる。 でも、なんか自分の家の流れには少し合わない感じがずっとあって、 なんでだろうと考えていた。

    今日は野菜を増やしたい日がある。 薄味にしたい日もある。 冷蔵庫に半端なものが残っていて、それを入れたい日もある。 大人がめちゃくちゃ食べる日もあるし、 子どもの食欲がまったく読めない日もある。 家の流れって、毎日少しずつ違う。 完成されたセットだと、その小さい調整がしづらい。 それが、たぶん窮屈だったんだと思う。

    料理でいちばん大変なのって、 結局野菜を切ることな気がしている。 そこが省けると、あとは意外と回る。 フードプロセッサーやオーブンに任せれば、 全部を頑張らなくても、夜はなんとかなる。 切ってあるだけで、かなり違う。 出汁があると、なんとかなる。 そういう「ここだけ」が手元にあれば、 あとは自分で編集できる。

    「完成品が嫌」というわけではない。 固定されすぎると、少し窮屈、というだけで。 家によって、止まる場所も、ちょうどいい形も違うと思う。

    自分はたぶん、調整できる感じが好きなんだと思う。 生活を、自分の手の届くサイズで持っていたい。 その日の流れに合わせて、少しずつ動かしながら。 なんか、そういう感じ。

    text — homeflow編集部

  • 割れたものを、すぐ終わらせられない。

    homeflow — thing & time

    お気に入りの器が割れると、悲しい。 でも、捨てられない。 金継ぎという選択肢を知ってから、 その「捨てられない」の感じが少し変わった気がする。

    パカっと綺麗に割れると、 「継ぎやすそうで、ありがたい」と少し思う。 細かく砕けても、「いい感じの線になるかもしれない」と考えている自分がいる。 完全な失敗として見なくなった、というか、 割れた瞬間から、次の景色を少し想像するようになった。

    でも、すぐ直すほどちゃんとしていない。 割れた器がしばらく生活に混ざっている。 気づくと、お気に入りだった欠けたものが少しずつ溜まっている。 欠けたままのマグカップ、ヒビの入ったお皿。 捨てるには惜しくて、でも途中のまま、そこにある。

    金継ぎには、乾燥の工程がある。 ただ乾かすのではなく、少し湿気が必要で、 ダンボールの中に器を入れて、水を入れたコップを一緒に置いたりする。 そのコップを湿気用に入れたまま忘れて、 「なんかコップ少ないな」と思っていたら、 ダンボールの中に入っていたことがある。

    途中で、普通に忘れる。 思い出した頃に「あ、次の工程やろう」と少し進む。 完成まで年単位になることもある。

    目指しているのは、完成した姿の方だ。 欠けやヒビが景色になって、また生活の中で使えるようになること。 飾るだけの作品にしたいわけではなくて、 普通にそのへんで使いたい。 お気に入りだから、また手に取りたい。 そっちの方が、ずっと嬉しい。

    ただ、金継ぎした器は電子レンジが使えなかったり、 少し扱いが変わる。 「好きだけど、前みたいには使えない」という距離感が、 なんとなく完成を急がせない部分もあるかもしれない。 理想の仕上がりを想像しながら、 でも生活との折り合いも少し考えながら、 そのあいだで止まっている感じ。

    途中の工程にも愛着が出てしまうのは、 たぶんそういう時間が長いからだと思う。 金継ぎは、そういう感覚にちょうど合っていた。 なんか好きなんよね、という感じ。

    text — homeflow編集部

  • 大きい平面が綺麗だと、空気が抜ける。

    大きい平面が綺麗だと、空気が抜ける。

    homeflow — space & air

    テーブルでも、カウンターでも、机でも。 大きい平面に何も乗っていないと、 家の空気が少し軽くなる感じがある。 別にミニマリストになりたいわけではない。 ただ、抜けていると、呼吸しやすい。

    子どもが小さい頃、テーブルはわりと綺麗だった。 でも今は違う。 勉強もそこでやるし、途中のものがどんどん集まる。 問題集、プリント、筆箱、色鉛筆、水筒、 カバンもそのまま、消しカスもある。 「片付けてー!」を毎日言っている。 毎日。

    イライラしないわけではない。 テーブルを空けたいし、大きい平面は守りたい。 でも最近、なんでこうなるかが少しわかる気がしてきた。 宿題が終わるまでは出しておきたいし、 帰ってきてすぐカバンを片付けるのも、まあ難しい。 テーブルって、途中のものが一番乗りやすい場所なんだと思う。 家の中心だから、全部そこへ集まる。 わかるけど、でもイライラはする。

    だから、テーブルとは別に、 家の中心導線上に途中のものを置く場所を一箇所だけ作っている。 持ち帰ったばかりの手紙、子どもの絵、あとで見る紙。 気づくとそこへ集まる。 その場所がたまたまアンティーク箪笥の上で、 なんかそれが、おかしいなと思いながら好きだったりする。

    かなり隠している方だと思う。 キッチンもできるだけスッキリさせているし、色も減らしている。 でも生活している以上、途中のものは絶対に発生する。 子どもが大きくなると、家に途中が増える。 今はそういうフェーズで、完全には受け入れていないけど、 少し諦めもある。 両方、ある。

    だから夜は、テーブルを綺麗にして寝るようにしている。 それだけは、なんか譲れない。 テーブルが綺麗な朝は、少しだけ空気が違う。 その感覚だけは、ずっと持っていたいと思っている。

    text — homeflow編集部

  • 透明感って、なんなんだろう。

    homeflow — self & sense

    子どもの頃から、ガラスやビー玉や水が好きだった。 光が透けるもの、揺れるもの、温度が感じられるもの。 みんなそういうものが好きだと思っていたけれど、 どうやら好きの深さが少し違ったらしい、 と気づいたのは、だいぶ後のことだった。

    大学の頃、白い服をよく着ていた。 全身真っ白なんて、当時はあまり誰も着ていなかった。 肌は焼かないようにして、色素の薄い髪にして、 ベージュやブラウン系のメイクをしていた。 誰かにどう見えるか、というより、 もっと自分の中のイメージだった気がする。 白い服を着ると、自分が少し透明になった感じがして、 それが好きだった。 あとから振り返ると、今で言う「透明感」に近かったのかもしれない。

    あの頃の透明感には、 儚さや軽やかさや、 未来がまだ曖昧だった頃の空気も混ざっていたと思う。 若さの透明感は、確かにあった。 それは否定しようがない。

    正直に言うと、未練もある。 何となく白い服を着るだけで、 持ち前の透明感みたいなものがすっと出ていた頃。 あの感じにまだ憧れる。 年齢も体型も変わって、肌にはノイズも増えて、 それは自然なことだとわかっていても、 あの頃の軽やかさは、やっぱり少し羨ましい。

    でも、目指しているものの核は、 たぶん昔から変わっていない気がする。 透明で、揺らいでいて、光が通るような空気感。 ガラスや水に惹かれていた頃から、 たぶんずっと同じものを探している。

    肌のノイズを減らして、 土台に、そういう空気を宿したい。 あの頃に戻りたいわけでもない、たぶん。 でも、なんかずっとそこに向かっている。

    ガラスも、水も、年を取らない。 光の通り方は、変わらない。

    年を重ねても、空気は凛としていられる。 そういう空気を、自分で作っていける気がしている。 なんとなく、ずっとそう思っている。

    text — homeflow編集部

  • 船旅って、ちょっと生活になる。

    船旅って、ちょっと生活になる。

    homeflow — travel & living

    GW

    子どもがまだ小さい頃、姉妹家族と母みんなで船旅へ行った。 九州まで車で行って、そこから乗船する。 妹だけ飛行機で途中合流した。

    出港すると、少し暇になる。 海を見てぼーっとして、昼寝して、 子どもがプールへ行く、というのを繰り返す。 小腹が空いたら食べに行けば何かある。 ご飯を何にするか考えなくていい。 それだけで、なんかよかった。

    舞鶴で途中下船して、市場で土海老を捌いてもらった。 白川郷にも寄った。GWで、気候がよかった。 境港、釜山、福岡。 港に降りて、また船に戻る。 それを何回かやっているうちに、 船が帰る場所みたいになってくる。

    ご飯は毎日食べ放題。 窓の外は海で、夜になると服を着替える。 そんな中で食べると、なんか美味しかった。 イタリア船籍だったから、ピザ屋があって、 そこがめちゃくちゃ美味しかった。

    毎晩テーマがある。 ガラナイト、イタリアンナイト、浴衣ナイト。 母は子どもたちの服を作ってきていた。 ドレスアップして、仮装行列に出て、カラオケをする。 子ども同士がいつの間にか友達になっていた。外国っぽい 託児もあり、子供は子供の世界で楽しんで、大人は飲みながら楽しめた。 下の子はまだ小さくてなかなかそうもいかなかったけど。

    GWなのに境港でプールに入って、 釜山ではナッチポックン(テナガダコ鍋)を食べて、買い物して、 時間ギリギリになって船まで走った。 また乗り込むと、床が揺れていた。 それがもう、普通だった。

    陸に戻ってからも、しばらく揺れていた。 地面の上なのに、身体がまだ揺れている。

    なんかずっと楽しかった、という感じの旅だった。

    text — homeflow編集部

  • みんな、実家に帰ってくる。

    homeflow — living & gather

    結婚する頃、もうこんなふうに集まることは減るんだろうな、と思っていた。 連休はそれぞれ夫の実家へ行ったり、 家族ごとに過ごすようになるだろうと。 もちろんそういう時もある。

    でも年々、なぜかみんな帰ってくる。 しかも人数が増える。

    私は三姉妹で、それぞれ結婚して子どもがいる。 家族にはカナダ人と結婚した人も、中国人と結婚した人もいて、 気づいたら実家がなかなか国際的になっていた。 去年のお盆は、義理のお兄さんの親や妹家族まで泊まっていた。 泊まれる場所があるから集まる、というだけではない気がする。

    夫たちも来る。 うちの夫も実家が好きで、かなり胃袋を掴まれている。 子どもたちはおじいちゃんおばあちゃんが大好きで、 毎週末泊まりに行く。サッカーの試合があっても、そこから向かう。 義理の家族が「また泊まりたい」と言っても、 海外からお客さんが来ても、 母は「いいよいいよ」と言う。 断るのを聞いたことがない。

    家は広い。 和室も板の間もあって、 少し標高が高いから夏でも風が抜ける。

    みんな、わりと自由に過ごしている。 和室で寝ている人もいるし、 板の間でスマホを見ている人もいるし、 子どもたちはどこかへ行ったり戻ったりしている。 べったり一緒にいるわけじゃない。

    でも気づくと、リビングに人がいる。
    母が何か出して、誰かがビールを開けて、
    子どもたちがうろうろして、
    なんとなく、そうなる。

    引き寄せているわけでも、 誰かが声をかけているわけでもない。 ただ、そこに戻ってくる。

    ご飯の準備はすごいし、手伝う量もなかなかだ。 毎回そう思う。

    でも来年も帰ると思う。 なんでなんだろうね、という感じだけど、 そういう家だ。

    text — homeflow編集部

  • 実家の畑

    homeflow — living & season

    そんなに広くない。 家と駐車場でほとんど使っていて、 残った土地にぎゅうぎゅうに植わっている。 母は昔、「草抜きが嫌だから」あまり土を増やさなかったと言っていた。 本格的にやるつもりは、たぶんなかったと思う。

    でも夏になると、 きゅうり、トマト、ナス、ピーマン、ゴーヤ、オクラ、 スイカ、かぼちゃ、冬瓜、バジル、大葉、パクチー、 ケール、フェンネル、ディル、アスパラ、ネギ、山椒、むかご。 どこにそんなスペースがあるのか、 全部育っている。

    石畳にビニールプールを出して、 子どもたちが泳いでいる横で、 ミニトマトをとって食べる。 採りたてのきゅうりは表面がチクチクして、 塩でこすってそのままかじる。 蚊はいるし、暑いし、 どこからともなく毛虫も出てくるけれど、 それはそれで夏だ。

    父は夕方、水やりをする。 母に「少ない!」と怒られながら、 ブツブツ言いながらホースを持っている。 雨の日は「水やらんでええわ!」と、 本人だけが少し嬉しそうだ。 収穫だけは大好きで、 勝手に採って、また怒られている。

    真っ赤になる直前のトマトを、
    鳥に食べられる。
    毎年。

    ネットを張って、板を置いて、 ハクビシンとも毎年やりあっている。 それでも何かしら食べられる。 懲りずに来年も植える。

    秋になると大根と白菜とかぶが入ってくる。 庭の柿とみかんがなる。 冬までピーマンが残っていることがある。 紫蘇の実は天ぷらにする。 余った野菜はご近所と交換する。

    春には菜の花がたくさんでる。お浸しにして食べると、めちゃくちゃ美味しい。野菜によって味が違う。

    理想の畑、という感じではない。 ごちゃごちゃしていて、蚊が多くて、草抜きも大変で。 でも、なんか上手に暮らしてるなあ、と思う。 うまく言えないけれど、そういう庭だ。

    text — homeflow編集部